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チョコレート戦争


 

チョコレート戦争
大石真【著】
講談社(講談社文庫)刊
1977(昭和52)年6月発行


小学生4年生のころ、担任の先生が「大石真は先生の友達なのだ、えへん」と自慢してゐました。真偽のほどは分かりませんが、クラスの友人の間では「絶対ウソだよな」といふのが定説となつてゐました。かはいさうな先生。

その大石真さんが亡くなつてからもう20年にならうとしてゐます(1990年9月4日没)が、その創作童話のかずかずは今でも現役で読まれてゐます。『チョコレート戦争』は代表作と申せませう。

すずらん通りにある洋菓子屋「金泉堂」は町で大人気の美味しい店。子供たちのあこがれであります。店頭のショーウィンドウには、1メートル近くのチョコレートでできた城があつて、それは金泉堂の名物であります。
光一くんと明くんがそのチョコレートの城をうつとりとながめてゐたら、なぜか突然ショーウィンドウが割れたのです。金泉堂の主人はふたりの仕業であると決め付けます。
しかし光一くんは、濡れ衣を着せられたままでは収まりません。
「戦うんだよ。あの、金泉堂のわからずや連中と、さいごまで、戦いぬくんだ」
彼の宣戦布告とは、一体、どんなものでせうか...?

結末は全く意外な展開を見せます。読んでゐて幸せな気分になれる物語でした。義治あにいは影の主役とも言へませう。そして金泉堂のその後の対応は、真の勝者の条件といふものを教へてくれるのでした。45年前の作品ですが、現在の鑑賞にも十分堪へるものです。

講談社文庫版にはほかに「見えなくなったクロ」「星へのやくそく」「パパという虫」が収められてゐます。いづれも涙が出るくらゐいい話ですよ...といひながら、例によつて絶版のやうです。
しかし児童書出版の理論社からはフォア文庫版・フォア文庫愛蔵版・名作の愛蔵版と3種類出てゐますので、用途と予算によつて選ぶことが出来ます。贈り物にも可でございます。
お金をかけたくない人は、立ち読みでもすぐ読めちやふし、図書館で落ち着いても読むことも出来るのでした。

では今日はこんなところで。

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小川未明童話集 赤いろうそくと人魚


小川未明童話集 (新潮文庫)小川未明童話集 (新潮文庫)



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小川未明童話集 赤いろうそくと人魚
小川未明【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1951(昭和26)年11月発行
2003(平成15)年 5月改版


小川未明であります。我我が思ひ浮かべる童話とはいささか趣きが違ふのであります。
勧善懲悪とは無縁であり、従つて教訓的ではなく、寓意もあまり感じられません。
個人的に感じるのは、人間は何と手前勝手で他愛無い存在でありませうかといふことです。未明童話では人間は何だかどうしやうもない役回りが多く、動物や植物、時には無機質の物体が感情豊かに自己主張するのでした。

「飴チョコの天使」といふ作品があります。飴チョコの箱に描かれた天使の絵の話です。これらの天使はそれぞれの運命に従ひ、破つて捨てられたり、燃やされたり、泥濘の道に捨てられ荷車の轍に轢かれたりするのです。東京から田舎の店先で1年間売れなかつた3個の飴チョコは、東京の孫に送るからとお婆さんに買はれ、東京に戻ることになりました。さて、それから...
商品の箱や袋に描かれてゐる人物などが気になることはありませんか? 唐突ですが、私は「たわしの革命児」キクロンの袋に描かれてゐる女の人がとても気になります。彼女はキクロンを手にしてゐますが、そのキクロンにも同じ女性がやはりキクロンを手に持つて...といふエンドレスになつてゐます。そんな私にとつて「飴チョコの天使」は、まことに心にフィットする物語でした。
それから「負傷した線路と月」。おほげさに言へば、この小編はこの世そのものを活写してゐます。まことにドラマチックで、愛情に飢ゑた人が読むとすすり泣くのではないか。「二度と通らない旅人」も私好みであります。

表題作「赤いろうそくと人魚」や「野ばら」、「金の輪」などは割と有名で語られる事も多いのですが、それ以外の作品も佳品揃ひと申せませう。ぜひ読んでくださいな。
では、おやすみなさい。

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この世でいちばん大事な「カネ」の話


この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)



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この世でいちばん大事な「カネ」の話
西原理恵子【著】
理論社刊
2008(平成20)年12月発行


「よりみちパン!セ」の一冊。漫画家西原理恵子さんが年少者に「カネ」の話を語ります。
西原さんならではの金銭観。はちやめちやなことが書いてあるかといふと、さうでもない。
実に真面目に、「カネ」といふテエマについて述べてゐます。もつとも彼女の作品を普段読まない人にとつては、どこが真面目なのだと問ふかもしれませんが。

5章構成で、章のタイトルが直截的です。自らの経験則をそのまま述べたやうな感じ。
第1章は「どん底で息をし、どん底で眠っていた。「カネ」がないって、つまりはそういうことだった。」
まだ大人の世界を知らぬ頃の、子供時代の西原さん。父親の死をきつかけに、お金がないことでどんな不幸が訪れるかを身をもつて体験します。
第2章。「自分で「カネ」を稼ぐということは、自由を手に入れるということだった。」
高校を退学させられた時の話。元は自分の飲酒が原因ですが、裁判に於ける学校(先生)たちの対応には、心底失望したことでせう。「大人の社会の見たくない裏側をしっかりと見たと思う」と。
「どうしたら夢がかなうか」ではなく、「どうしたらそれで稼げるか」と考えよと西原さんは言ひます。プロフェッショナルとアマチュアの差もここが分れ道になるやうな気がします。
第3章は「ギャンブル、為替、そして借金。「カネ」を失うことで見えてくるもの。」
麻雀漫画を描くことがきつかけで、ギャンブルの世界にのめり込む。手で触れるカネの実感を自分に叩き込むことで、金銭感覚は保たれるのではないかといふ。
第4章。「自分探しの迷路は、「カネ」という視点を持てば、ぶっちぎれる。」
「カネ」について語ることが下品とされる風潮に疑問を呈します。私の親もカネについては実践的なアドバイスをくれたので、よく分かります。守銭奴になれ、といふのとは違ふのです。お金の重要性についてはすべからく幼時から教育すべきでせう。
最後の第5章は「外に出て行くこと。「カネ」の向こう側へ行こうとすること。」
アジアの国々を見てきて感じることが語られます。西原さんは自分で体験したことでないと信用しない人だと思ひます。そんな彼女だからこそ「働けることのしあわせ、働く場所があることのありがたさについて、考えたことがありますか?」の問ひかけも説得力があると申せませう。

本書については大人の感想・書評はいくつか読んだけれど、これから社会へ出る人たちはどう受止めるのでせうね。拒否反応を示すのかなあ...
しかし、本当に真面目な本です。

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マザー・グース


マザー・グース (1) (講談社文庫)マザー・グース (1) (講談社文庫)



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マザー・グース<全4巻>
谷川俊太郎【訳】
和田誠【絵】
平野敬一【監修】
講談社(講談社文庫)刊
1981(昭和56)年7月発行(第1巻)


おなじみのマザー・グースです。
中学生時代、英語を勉強し始めた頃、NHKラジオ「基礎英語」で出会ひました。
当時の「基礎英語」は、小島義郎先生が担当されてゐました。ネイティブのゲストは、うろ覚えで書くのですが、女性がウェンディ・ジョーンズさん、男性がレジナルド・スミスさんでした。レジーは芸達者でしたね。2学期からウェンディさんに代り、マキシン・レナードさんといふ女性が担当になつたと記憶してゐます。もし間違つてゐたら、どなたかご指摘ください。どうでもいいことですが。

その「基礎英語」では、週末に歌を紹介してゐまして、1学期目は全て「マザー・グース」の歌でした。ちなみに2学期以降は、ローストビーフの歌などさまざまな歌を紹介してゐました。
「マザー・グース」を歌つてゐたのは、キャロライン洋子さん。子役時代の録音ださうです。
印象深いのは、歌が終つた後、小島先生が必ず「えー、キャロラインさんの歌声がとても可愛らしいのですが、それは彼女がまだ小さい時の録音だからなんですねえー」と毎回言ふとこです。
まるでキャロラインさんの歌声が可愛らしくては何か不都合でもあるかのやうに、言ひ訳がましく述べるのがとても面白かつた。

さて講談社文庫版「マザー・グース」は、訳・谷川俊太郎、絵・和田誠、監修(解説)・平野敬一の最強トリオによる全4冊であります。
改めて読んでみますと、もちろん児童向けと思はれる歌が多いのですが、中には不気味なもの、アダルトなものが多く含まれてゐます。
あるいは、原典はもつと残酷な内容だつたのが、後年改められたものなどもあり、調べれば調べるほど面白いのでございます。
例へば次のやうな詩はいかがでせうか。

 おかあさんがわたしをころした
 おとうさまはわたしをたべてる
 にいさんねえさんおとうといもうと
 テーブルのしたでほねをひろって
 つめたいいしのなかにいれる

残酷な継母に殺された子供の骨が鳥になつて歌ふ民話が原型ださうですが、少なくとも日本ではかういふストレイトな「童謡」はないでせう。
また、「Fee、fi、fo、fum、I smell the blood of an Englishman」なる不気味なフレーズ、平野敬一氏の「原詩と解説」によりますと、沙翁の『リア王』の登場人物がこれをふと口にする場面があるさうです。
そこで新潮文庫版『リア王』(福田恆存訳)を引つ張り出すと、確かにありましたよ。
第三幕第四場の最後、「エドガー」の台詞であります。

 「フィ・フォ・フム」と合言葉
 「ブリテン人の 血が匂う」

伝承世界の不気味さを感じ、少しぞつとしたのでした。

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ぼくがぼくであること





ぼくがぼくであること 
山中恒【著】
角川書店(角川文庫)刊
1976(昭和51)年2月発行


児童文学の名作といはれてゐます。
学生時代に友人から薦められて購買だけはしたのですが、私は本については頑なに自分で選ぶのが好きで、人から推薦されるのはあまり読まない。それでそのまま放つてゐました。
で、最近本棚があまりに汚いので少し整理してゐたら、本書を再発見、何気なく読み始め、そのまま最後まで読了してしまつた。

主人公の平田秀一くんは小学6年生、5人兄弟の下から2番目であります。優秀な(と母親が思う)他の姉や兄、妹に比べて、秀一は1人出来が悪いといふことでお母さんに怒られてばかり。
話の弾みで家出をする羽目になりますが、それをきつかけに、とんでもない事に巻き込まれていくのでした...
少年向けなので、登場人物の性格付けも極端にはつきりと描いてゐます。特に母親は戯画化が激しい。かと言つて有り得ない設定かといふと、発表当時の世相を考へますと、この母親はいかにも実在しさうな感じを与へます。兄弟姉妹の中でも、出来の良い子供とさうでない子供に対する対応が明らかに違ふ親は珍しくなかつた。
もちろん親のいふ「出来の良い子」は、学校の勉強が良く出来て親や先生の言うことを良く聞く子供で、その逆は悪い子なのでありました。

家族の問題を通じて、自分とは何かを探す少年を描いてゐるのですが、まあそんなことはどうでもよろしい。もしこの本を大人が子供に与へるならば、余計なことを何も言はずに渡して欲しいですね。
何しろ読み物として、まことに面白く出来てゐます。一気に物語の世界に引きずり込む力を持つてゐます。さうして『ぼくがぼくであること』を読んだ少年は、必ず自力で次の本を選ぶことでせう。

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