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文学ときどき酒 


文学ときどき酒 - 丸谷才一対談集 (中公文庫)文学ときどき酒 - 丸谷才一対談集 (中公文庫)



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文学ときどき酒-丸谷才一対談集
丸谷才一【著】
中央公論新社(中公文庫)発行
2011(平成23)年6月発行


中公文庫になつた『文学ときどき酒』を見て、一気に少年時代に遡る心持がしたのであります。
元は1985(昭和60)年に集英社から出版されたもので、26年前といふことになります。
従つて登場する対談相手も時代を感じさせる人ばかりでございます。今では大半が物故者となつてゐます。それだけに貴重な対談集と申せませう。

対談相手は豪華な顔ぶれで、収録順に列挙しますと、吉田健一・河盛好蔵・石川淳・谷崎松子・里見・円地文子・大岡信・篠田一士・ドナルド・キーン・清水徹・高橋康也の各氏であります。
事象を列挙する場合、読点(いはゆるテンですな)を使ふのは本来の使用法ではないと、あるジャーナリストが述べてゐました。さういふ場合は中黒を駆使すればよろしいと。ところがそれをやると、上のやうにドナルドさんとキーンさんが別の人のやうに見えてしまふ。解決策として、ドナルド=キーンと表記すればいいと件のジャーナリストは主張するわけですが、「=」は余り使ひたくない。で、やむなくかういふ表記になつてゐます。

話が脱線したついでに「=」にまつはる思ひ出。昔「Sage(サージュ)」といふ本好きのための雑誌がありました。その雑誌のある号に、筒井康隆さんがアンケートに答へてゐたのですが、「注目する作家」といふ問に対して「バルガスニリョサ」と書いてあつたのです。おそらく手書きで「=」とあつたのを、雑誌編集がカタカナの「ニ」と読み違へたのでせうね。無論これは「バルガス・リョサ」が正しい。これ以来私は「=」の使用をためらふやうになつたのです。

文学ときどき酒といふタイトルに反し、酒を呑んでゐる描写(?)はほとんどありません。が、それはどうでもよろしい。ここは一つ丸谷氏の対談術の巧みさと、文学鑑賞における審美眼の確かさにうつとりしてゐれば良いと思ふのであります。

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知的生産の技術


知的生産の技術 (岩波新書)知的生産の技術 (岩波新書)



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知的生産の技術
梅棹忠夫【著】
岩波書店(岩波新書)刊
1969(昭和44)年7月発行


梅棹忠夫氏逝く。朝刊の1面に訃報が掲載されてゐました。改めてその存在の大きさを思ふのであります。
公式な肩書きは民俗学者といふことになるのでせうが、広く一般の読者を魅了してゐたと思はれます。
中学校の教科書で初めて出会ひ、その文章では自分はあまり読書をしないといふ話を堂々としてゐました。
当時の学校教育では、本を読むこと=善、読まないこと=悪といふ空気がぷんぷんしてゐたので、新鮮に感じたものです。

『知的生産の技術』は、梅棹氏の著作の中では、おそらく3本の指に入るくらゐ、広く読まれてゐると考へます。根拠はないけど。41年前のこの本が、今でも読まれてゐるといふ事実がまづ驚異ですね。情報整理の考へ方と技術を伝授する本としては、その思想は現在でも通用します。もちろん駆使するツール類は変るでせう。しかし発見の方法や、記録する意義、いつでも取り出せる整理の仕方などは、PC時代でも思想は変らない。

「ペンからタイプライターへ」の章は、もちろん今では古い内容になつてゐます。1960年代後半の、日本語の表記問題がどう揺れてゐたのかが分かる文章です。臨場感がありますね。いふまでもなく日本語ワープロの出現によつて、ここに書かれてゐる問題のほとんどは解決してしまつてゐます。同時に、国語ローマ字化運動もなりを潜めました。当然ですね。やはりひらがなが多い文章は読みにくい。
日本語=非論理的言語論といふ、かなりの知識人も唱へてゐた主張をあつさりと否定するところも愉快であります。非論理的なのは、日本語ではなくそれを書く人間のことでした。

最近は本屋の岩波新書コーナーへ行つても、新赤版しかないことが多いので、本書を入手するには注文した方が早いと思はれます。ちなみに岩波新書は赤→青→黄→新赤の順に刊行されてゐます。
ところで気になるのは、「只棹埋男」なる人物が出てくる本のこと。何といふ書名なのか...

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私の個人主義


私の個人主義 (講談社学術文庫 271)私の個人主義 (講談社学術文庫 271)


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私の個人主義
夏目漱石【著】
講談社(講談社学術文庫)刊
1978(昭和53)年8月発行


夏目漱石の講演集であります。いやあ面白い。
面白いといふと語弊がございますか。
鹿爪らしい顔をして気取つてゐる有名な写真がありますが、実際にはきつと茶目ツ気のある人なのでせう。

「道楽と職業」に於ける道楽とは、まあ学者とか芸術家とか、さういふ職業のことを指してゐます。
官吏や会社勤めと違ひ、自分の匙加減で仕事をする人たち。やくざな職業と思はれてゐたのでせう。
それにしても明治44年当時、漱石はすでに職業の細分化に触れてゐます。
「現代日本の開化」では、「開化は人間活力の発現の経路である」と定義します。何だか良く分かりませんね。
そこで積極的な活動と消極的な活動に分類して論を進めるのですが...漱石は現代日本の開化は上滑りの開化と断じ、日本の行く末は悲観的だと嘆いてゐます。当時こんなことを公で発言しても大丈夫だつたのでせうか。日露戦争が終つてまだ間がなく、やあ日本はあのロシヤに勝つたのだ、世界の一等国だなどと浮かれてゐた頃でせう。
「中身と形式」を見ますと、明治維新からまだ50年に満たない中途半端な時代を感じます。一般大衆に於ける善悪美醜の複雑化が窺へます。
「文芸と道徳」では、当時の文学の主流である浪漫主義・自然主義と道徳の関係を説きます。自然主義文学に対して、案外寛容な物言ひですね。
「私の個人主義」の主張は、危険思想扱ひされなかつたのだらうかと、心配になります。もちろん現代の私が明治の漱石を心配しても詮無いことでありますが。国家より個人が優先されるなどと説く漱石。カッコイイのであります。

さすがにかつて千円札の顔になつただけありますね。大衆の味方。私は再び千円札に復帰して貰ひたいと祈願するものであります。現在の千円札の人は、偉い博士ですが、どうもあの親不孝ぶりが気に入らない...

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モラトリアム人間の時代


モラトリアム人間の時代 (中公文庫 M 167)モラトリアム人間の時代 (中公文庫M167)


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モラトリアム人間の時代
小此木啓吾【著】
中央公論社(中公文庫)刊
1981(昭和56)年11月発行


元来「モラトリアム」とは金融・法律用語で、支払を延期・猶予する時に駆使するといふことです。
従つて、亀井静香金融相がいふ「モラトリアム新法」は本来的な用語の使はれ方といへませう。
この言葉を心理学の概念に持ち込んだのは、米国の精神分析学者エリク・H・エリクソンといふ人で、さらに日本に於いて小此木啓吾氏が「モラトリアム人間」なる言葉を定義したのでした。

まあ世間的には、人間が一人前になる以前の猶予期間(学生時代など)をモラトリアムと捉へ、その時期を過ぎてもなほモラトリアム状態から脱皮する意思がない人、でせうか。
といふことで、「モラトリアム人間」は悪い意味に捉へられてゐることが多いやうです。
実際「文庫版まえがき」によると、(自分を棚に上げて)本当にモラトリアム人間には困つたものだとか、全く近頃の若い者、日本人は心配だとかいふ反響が多かつたさうです。山本ベンダサン氏の解説さへ、心の奥底にはさういふ否定的な見方が窺はれる。

もちろん小此木氏の本意はさうではありますまい。現在の(執筆当時のこと)モラトリアム人間がいかにして誕生し、日本社会の中で存在してゐるかを我々の眼前に鮮やかに示したのであります。
しかもそれは個人の域に留まらず、集団としてのモラトリアム化が進み、もはやモラトリアム人間への理解なくして、日本社会の現状を把握できないと言つても過言ではないでせう。
さういふ私も、すでにおつさんになりながらもなほ、「今の自分は本来の自分が落着く場所にはゐない」などと内心つぶやくモラトリアム人間であります。
「母親のモラトリアム人間化」では、すでに母性愛神話の崩壊に言及してゐるなど、現代(2009年)の我々からすると、著者の診断はまことに的確に将来を占つてゐたのではないでせうか。

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知的創造のヒント


知的創造のヒント (ちくま学芸文庫)知的創造のヒント (ちくま学芸文庫)



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知的創造のヒント
外山滋比古【著】
筑摩書房(ちくま学芸文庫)刊
2008(平成20)年10月発行


近所の本屋へ行くと、ほとんどの店で外山滋比古さんの『思考の整理学』をコーナー展開してゐます。なぜでせうか。今この本は売れてゐるのでせうか。
帯の文句に「東大・京大で一番売れてる本」とか書いてありますが...何だか厭らしい惹句ですね。「だから何なのよ」と言ひたくなる。
さういふ訳でもありませんが、ここでは対抗して同じ著者の『知的創造のヒント』を取上げませう。

私が所持してゐるのは32年前の講談社現代新書版ですが、現在は絶版で入手困難なので、昨年再刊されたちくま学芸文庫版をとりあげることにします。
タイトルの『知的○○』といふのは、ベストセラーになつた『知的生活の方法』(これも講談社現代新書だつた)に端を発すると思はれます。当時『知的』を冠する書籍が多く出版されたと記憶してゐます。少し前の『品格』ほどではありませんが。(しかし梅棹忠夫著『知的生産の技術』はそれ以前からある。この本はずいぶん漢字がすくなく、ひらがながおほい文章で、わたしはとてもよみにくいとかんがへてゐる。)
教科書に載るとどんな名作も台無しになるが、例外的に寺田寅彦の文章は読んで頭がすつきりした、と著者は言ひます。私の場合は、多田道太郎、本多勝一、そして外山滋比古の各氏の文章がその例外に当ります。
本書も、論文などを書く学生を念頭においた記述が多いやうです。ワープロも普及してゐなかつた時代なので、現在は古いと感じる部分もありますが、それほど気になりません。むしろ現在でも通用する内容が多いことを感嘆するべきでせうね。メモについての薀蓄や、わざと途中でやめる読書法など、私もマネしたことがあるノウハウがいろいろ詰まつてゐます。
頭の中がすつきりするやうな読後感です。いいですよ。

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