スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

中国語エッセイ 小点心 あっさり味の日中文化論


中国語エッセイ 小点心 ~あっさり味の日中文化論中国語エッセイ 小点心 ~あっさり味の日中文化論



商品詳細を見る

中国語エッセイ 小点心 あっさり味の日中文化
陳淑梅【著】
NHK出版刊
2005(平成17)年7月発行


この4日間、所用で中国の南方へ行つてゐました。行く直前に読んだのが、この本。
著者の陳淑梅さんは天津出身で、NHKラジオで中国語講座の講師を務めた方です。私もリスナーのひとりでした。
「中国語エッセイ? 自分には読めないよ」などと心配する必要はありません。なぜなら後半に全文の日本語訳がついてゐるからです。やさしく書かれてあり、字も大きいのであつといふ間に読めます。

実際に中国へ行つて大いに頷いたのは、食事の際にごみをポイポイと周辺に捨てることであります。私は不慣れなので適当な場所に捨ててゐましたが、中国人の友人は「私は中国人だから捨てるー」と平気でその辺に捨ててゐました。
食べ物が置いてある同じテーブル上にごみがあるのは、まことに不衛生である、といふ思想のやうです。また、食べ物屋の取り皿は基本的に1枚だけなので、別の料理を皿にのせたくて店員に「別の皿をくれ」と頼んでも、店員は皿を持つて来ずに、いま皿にのつてゐる料理をポイ、と捨てて「ほら皿が空いたぞ」とばかりに私に突き出すのでした。

もうひとつ、私の実体験と重なる話がありました。中国語では「かゆい」も「くすぐつたい」も同じく「痒」といふ言葉をつかふので、中国人はこの両者の区別がつかないのであります。
陳淑梅さんも以前は区別がつかず、当時4歳の娘さんに聞くと、身体を掻きたくなるのが「かゆい」で、笑ひたくなるのが「くすぐつたい」だと説明されて納得したとか。
私も以前、中国人にまつたく同じ説明をしたので、おお、4歳児と同じレベルか、と思ひました。

ほかにも、贈り物を渡す時の注意や、人に呼びかける時の日中の相違など、知らないと冷や汗をかきさうな知識が得られます。外国語を学ぶといふことは、同時にその国の文化を学ぶ事であるとはよく言つたものでありますね。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

知的創造のヒント


知的創造のヒント (ちくま学芸文庫)知的創造のヒント (ちくま学芸文庫)



商品詳細を見る

知的創造のヒント
外山滋比古【著】
筑摩書房(ちくま学芸文庫)刊
2008(平成20)年10月発行


近所の本屋へ行くと、ほとんどの店で外山滋比古さんの『思考の整理学』をコーナー展開してゐます。なぜでせうか。今この本は売れてゐるのでせうか。
帯の文句に「東大・京大で一番売れてる本」とか書いてありますが...何だか厭らしい惹句ですね。「だから何なのよ」と言ひたくなる。
さういふ訳でもありませんが、ここでは対抗して同じ著者の『知的創造のヒント』を取上げませう。

私が所持してゐるのは32年前の講談社現代新書版ですが、現在は絶版で入手困難なので、昨年再刊されたちくま学芸文庫版をとりあげることにします。
タイトルの『知的○○』といふのは、ベストセラーになつた『知的生活の方法』(これも講談社現代新書だつた)に端を発すると思はれます。当時『知的』を冠する書籍が多く出版されたと記憶してゐます。少し前の『品格』ほどではありませんが。(しかし梅棹忠夫著『知的生産の技術』はそれ以前からある。この本はずいぶん漢字がすくなく、ひらがながおほい文章で、わたしはとてもよみにくいとかんがへてゐる。)
教科書に載るとどんな名作も台無しになるが、例外的に寺田寅彦の文章は読んで頭がすつきりした、と著者は言ひます。私の場合は、多田道太郎、本多勝一、そして外山滋比古の各氏の文章がその例外に当ります。
本書も、論文などを書く学生を念頭においた記述が多いやうです。ワープロも普及してゐなかつた時代なので、現在は古いと感じる部分もありますが、それほど気になりません。むしろ現在でも通用する内容が多いことを感嘆するべきでせうね。メモについての薀蓄や、わざと途中でやめる読書法など、私もマネしたことがあるノウハウがいろいろ詰まつてゐます。
頭の中がすつきりするやうな読後感です。いいですよ。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

パンツが見える。 羞恥心の現代史


パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)



商品詳細を見る

パンツが見える。 羞恥心の現代史
井上章一【著】
朝日新聞社(朝日選書)
2002(平成14)年2月


「白木屋ズロース伝説」は眉唾の風評であつた! 
何といふショッキングな(私にとつて)主張でせうか。
念のために、「白木屋ズロース伝説」とは何かを少しここで復習しませう。

1932(昭和7)年12月のことであります。この年は谷啓が生まれた年ですが、話に関係ありません。
東京日本橋の「白木屋百貨店」で火事が発生しました。大火災です。
発生箇所の4階では、店員たちがカーテンや着物の帯などで即席のロープを拵へ、それを伝つて逃げやうとしてゐました。しかし当時の女店員は着物を着てゐます。和装であります。下着を穿いてゐないのが普通なので、ロープを伝つて降りたら、下から丸見えになつてしまふ。そんなはしたない姿を公衆の面前に晒せる訳がありませぬ。と、逃げるのを躊躇してしまひ、結果多くの女店員が若い命を落したのであります。
この大火をきつかけにして、世の女性たちは下着(ズロース)を穿くやうになつたのである...

私はこの話を完全に事実と思ひこんでゐました。いろいろな文献にも紹介されてゐます(なぜか「コラム」「こぼれ話」みたいな扱ひが多い)。ちなみに白木屋百貨店は後の東急百貨店ですね。なほ、白木金属工業(現・シロキ工業)は白木屋百貨店の子会社として発足した会社なので、今でも東急グループなのであります。これも関係ない話。
ところが本書の著者・井上章一氏によりますと、この大火によつて女性がズロースを穿くやうになつたといふのは嘘であるとの指摘であります。興味を抱いた私は早速購買、通読したのであります。まあ若干の助平心も手伝つたことも否定はしませんが。

要するに、おびただしい数の文献に当り、あるいは証言を集め、羞恥心に関る変遷を概観しながら白木屋伝説を否定する一冊と申せませう。その姿勢は一本気といふか、モノマニアックといふか、一種の感動さへ呼ぶものであります。力作に違ひありません。
...それでも私は、「白木屋ズロース伝説」は事実であつて欲しかつたな...

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

日本映画史100年


日本映画史100年 (集英社新書)日本映画史100年 (集英社新書)



商品詳細を見る


日本映画史100年
四方田犬彦【著】
2000(平成12)年3月刊
集英社(集英社新書)発行


本書に以下のやうな記術があります。
「日本人による映画撮影は、一八九八年に東京の小西写真館に勤める浅野四郎が、『化け地蔵』と『死人の蘇生』なる短編を撮ったことをもって、嚆矢とする」
といふ訳で、2000年に発行された本書のタイトルは、『日本映画史100年』となつてゐます。
初版からすでに9年が経過してゐますが、日本映画の歴史を概観する意味では、今日読んでも何ら問題はありません。実際今でも入手は極めて容易であります。 「第11章 インディーズの全盛へ 1991~2000」が最終章ですが、読者は自分なりのその後「第12章 2001~」を付け加へても良いでせう。

私もわりかし日本映画は好きな方で(といつても1950-60年代が中心、本と同様に古いものを漁る)、先日も松林宗恵監督の追悼上映と称して、自宅で『連合艦隊』『潜水艦イー57降伏せず』を観ました。潜水艦映画はどうして面白いのでせうね。池部良も良い。松林監督は実際にはサラリーマン映画などの作品数が多いのですが、戦争映画の監督といふ印象がありますね。
ついでにテレビ特撮番組『帰ってきたウルトラマン』第49・50話も観る。これも松林監督。どこかで読んだ話ですが、松林監督の子供が小さい頃、自分を映画監督と認識してくれなかつたのが、ウルトラマンの監督をした途端に、監督として認めてくれたさうです。子供は正直であります。
49話に出てくる村上不二夫の娘役の子が可愛いのですが、彼女はその後活躍したのでせうか。気になるところであります。

さて閑話休題。といつてもこれからも閑話ですが。
全体に私見を抑へた記述ですが、「日活の快進撃」の場面では次のやうに述べてゐます。
「さて、いよいよ日活について語るときが到来した。率直にいってわたしは、この瞬間のために本書のこれまでの部分を執筆してきたような気がしている」
おお。いかに熱く語るかと思つたら、わずか3ページほどでほとんど事実を列挙するだけに留まつてゐました。抑制してゐますね。私も日活映画については語りたいが、またの機会にしませう。
日本映画史を俯瞰してみますと、100年は案外短いものです。しかしその間の変遷ぶりについてはすさまじい。今後はいかなる道程を示すのか。皆で見守らうではありませんか。
ではまた。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

監督


監督

監督
海老沢泰久【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
1995(平成7)年1月発行


59歳の若さで亡くなられた海老沢泰久さん。
かういふ文章を書ける人がゐなくなるのは、まことに寂しく勿体ないことであります。
如何なる文章かといふと、難しい言葉や言ひ回しを使はず、しかしとても入組んだ複雑な内容を読者に伝へます。逆の文章を書く人は結構ゐるやうですが。即ちいたづらに難解な言葉を用ゐ、無意味なレトリックを連発し、そして肝心の内容は空疎で冷え冷えとしてゐるといふ文章。
かういふ文章に付合はされるのは時間の無駄ですねえ...

本書『監督』は、元ヤクルト・スワローズ監督の広岡達朗さんをモデルにした小説であります。主人公の姓も広岡ですが、人物も物語も完全にフィクションなのです。
冒頭にも、かうあります。
「この物語の登場人物および組織はすべて架空であり、現存する、あるいは過去のいかなる実在人物および実在組織に似ていようとも、それはまったくの偶然である」
ここまでしやあしやあと語られると、却つて爽快でさへあります。何しろ、エンゼルス(スワローズ)以外のチームでは、選手はすべて実名なのだから。例へば長嶋や王といふ人物が出てきますが、実際に長嶋さん王さんがゐるのはそれは偶然だといふ訳でせう。

広岡は「ドンケツ・エンゼルス」と揶揄されるほど弱いチームの監督に就任します。チームの状態は最悪で、コーチ以下選手は皆だらけきつてゐました。元凶は高柳といふ古参コーチで、選手の我儘を許し放題にし、それを良い雰囲気の家族的なチームと勘違ひしてゐたのであります。
広岡は我慢するべき時はぐつと我慢しながら、行動を起すべき場所では時期を過たずにチームの改革を推し進めるのでした。そしてチームは結果を出し始め、常勝ジャイアンツに肉薄してゆく...

私は30年来の燕党ですから、主要人物のモデルは誰か、おほよその見当はつきますが、ちよつと分からない人物もゐます。大滝は松岡でせうね。高原は若松以外に考へられぬし、市川は大矢かな。
ハドソンはマニエルと思はれるが、ヘミングウェイは完全な独創ですね。武富は良く分かりません。名前は武上+福富ですが、この2人ではありますまい。大杉でもなささうだし。
と、私は余計な事を考へながら読んでゐましたので、あまり良い読み方ではありませんね。むしろ予備知識のない人が読むと、純粋に野球小説としてその感動を得られるでせう。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

放送禁止歌


放送禁止歌 (知恵の森文庫)放送禁止歌 (知恵の森文庫)



放送禁止歌
森達也【著】
光文社(知恵の森文庫)刊
2003(平成15)年6月発行


放送禁止歌。しかし禁止の決定を下すのは一体誰でせうか。
著者はその答へを求めて取材を重ねます。
様々なタブー、差別問題、反権力...理由についてはそれなりに何となく分かる歌が多いのですが、それでも一部の擬音語を問題視し、拡大解釈したもの(「ブンガチャ節」)や、特段に問題となる言葉は歌詞に無いのに、歌の全体的な雰囲気が反社会的でよろしくない(「網走番外地」)と判断されたケースがあり、これらはどう考へても首肯出来ない理由であります。
さうなりますと、かういふ決定を下した機関とは一体? と改めて知りたくなりますね。

森達也さんは、かつて放送禁止歌を歌つた歌手たち(なぎら健壱・高田渡・山本和彦)に取材しますが、不思議に放送禁止となつた経緯をはつきりと答へられる人はゐなかつた。世論の反感を買つたとか、特定の団体から抗議があつたとかはないと証言してゐます。自主規制だといふのです。民放連の自主規制であらうと。
そこで次に民放連に取材します。ところがここでも肩透しです。民放連は、ガイドラインを示しただけで、規制には何の拘束力もないといふことです。(ちなみに、「放送禁止歌」は俗称で、正式には「要注意歌謡曲」と呼ぶさうです)

そして更に、デーブ・スペクター氏へのインタビューで、表現の規制における日米の相違点を明らかにし、部落問題の現場まで出かけて取材を重ねるのでありました。(本筋には関係ありませんが、デーブ・スペクターさんも一般の米人と同様に、鯨は賢い動物だから捕獲してはいけない、との考へのやうです。ふーん。)
最終的に導き出される結論めいたものは、実に意外なものでした。歌謡曲にとどまらず、あらゆる表現方法に共通する問題に行き着いたと言へるでせうか。
文庫版のカバー裏にある「感動の名著」といふ惹句はおほげさではない、と感じた1冊でした。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

名鉄パノラマカー

名鉄パノラマカー JTBキャンブックス名鉄パノラマカー JTBキャンブックス



名鉄パノラマカー
徳田耕一【著】
JTB(キャンブックス)刊
2001(平成13)年1月発行


パノラマカーをご存知でせうか。
愛知・岐阜両県に住む人々の間ではかなり知名度があると思ひますが。
名古屋を中心に路線を伸ばす名古屋鉄道(以下「名鉄」)の看板車両として、長年地元民に親しまれてきました。
1961(昭和36)年のデビウですから、もう48年前といふことになりますが、登場時はその奇抜なデザインと真つ赤な(スカーレットといふらしい)車体で、乗客の度肝を抜いたやうです。さもありなむ。現在でもそのフォルムは色褪せることなく、抜群の存在感を誇つてゐます。なにしろ運転席を2階に上げて、最前列まで客席なのだから、無人運転と勘違ひした人も多かつたと聞きます。
そして、あのチャアミングなミュージックホーン。現在30-40代の愛知・岐阜県人で子供の頃に「どーけーよー、どーけーよー」と口ずさまなかつた人はゐるのでせうか。

そのパノラマカーも、遂に完全引退の日が迫つてきたのであります。既に定期運用からは外れて、現在はイベントなどで限定復活してゐました。
しかし、名鉄のHPによりますと、来る8月30日(日)、いよいよ最後のサヨナラを迎へるとのこと。私は悲しくて仕方がないのであります。しかも当日は私は仕事が入つてゐて、見に行けないのであつた。
しかし、もし私がその場面に居合せたならば、必ず号泣するに相違なく、見苦しいところを見られずに済むのは幸ひであります。(自分は列車を見ただけで涙ぐむことがあるので、よく人から不審がられます)

ところで私の家に宅配される新聞の地域欄には、芥川賞作家・諏訪哲史氏のエッセイが連載されてゐますが、何と彼はかつて名鉄に在籍しパノラマカーを運転してゐたとのことです。それだけで一気に諏訪哲史さんの愛読者となりました。アサッテの人しか知らないけど。

著者の徳田耕一さんは中京圏の鉄道事情に関しては他の追随を許さぬ存在で、自身の結婚式の2次会をパノラマカー車中(もちろん走行中)で行つた人であります。本書の著者としてこれ以上の適任はありますまい。
地元の鉄道に対する愛情が溢れてゐます。そして全国の人々にアピールしたい! といふ心意気が窺へます。きつと最終日には取材に訪れることでせう。
パノラマカー愛好者の方々へ:当日は私の代りに現地を訪れて、涙を流してください。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

李陵・山月記



李陵・山月記
中島敦【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1969(昭和44)年9月発行
1978(昭和53)年6月改版

高校の授業で、初めて『山月記』を読んだ時の衝撃は忘れられません。
自らの狷介さが招いた結果とはいへ、志半ばで虎の姿に変り果てた李徴。人間の心を取り戻す時間があるといふのが一層残酷ですね。
友人が通りかかつた時、人間の心を持合せてゐたのが、せめてもの幸ひ。さうでなければ、彼を襲ひこれを喰ひ殺し、従つて自作の詩を残す事もできず、自らの存在を知らしめることも叶はなかつたでせう。
李徴の悲哀も胸に迫りますが、何よりこの文章自体がかつこいい。リヅムがある。引締つてゐる。贅肉が無い。まさに声に出して読みたい日本語であります。
最初のページで「隴西の李徴は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね」から「その後李徴がどうなつたかを知る者は、誰もなかつた」まで簡潔に物語る。この1ページの内容だけで、長篇小説が1冊書けさうです。

『名人伝』は弓の名人を目指す紀昌といふ男の物語。
師匠に命ぜられるまま、目の基礎訓練に5年もかけて修行し、遂に虱が馬ほどの大きさに見えるほどになります。師匠から学ぶものがなくなり、次いで甘蝿老師なる大家の門を叩く...
結末には意表をつかれます。寓意を込め過ぎて、物語としては単純化されたやうです。
『弟子』とは、孔子の一番弟子・子路の話。まことに愛すべき人物として描かれてゐて、自己の保身ばかりに汲々とする私としては、ひとつの理想像であります。
『李陵』では、漢の李陵が匈奴と戦ひ善戦するが、兵力の差が大きすぎて結局捕へられ捕虜になる話。時の為政者武帝は情報の真偽を確かめもせずに李陵を裏切者と断じ、激怒の挙句李陵の親族を皆殺しにしてしまふ。とんでもない奴です。以降、李陵は漢へ戻る意思を失ふのであつた...
ほかに『史記』の司馬遷、漢の使節・蘇武が登場します。李陵と司馬遷はそれぞれに大いに苦悩しますが、蘇武は李陵を更に悩ませる存在として別の存在感を示します...

本屋へ行き新潮文庫の100冊コーナーでうろうろしてゐますと、いまだに本作品がそのラインナップに名を連ねてゐることが分かります。といふことは現在でも新しい読者を増やしてゐるのでせう。
太宰や清張だけではありませんよ、実はこの中島敦も生誕100年なのでした。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

旧かなづかひで書く日本語


萩野貞樹【著】
幻冬舎(幻冬舎新書)刊
2007(平成19)年7月発行

旧かなづかひなどといふものは、主義主張を振り回して声高に訴へるものではありますまい。
新かなには矛盾点(例へば「は」「へ」「を」の問題)、文法上の不合理(例へば動詞活用)など、私自身も気に喰はないところもありますが、今更元のかなづかひに戻す事は不可能でせう。
一部の趣味人が個人的に細々と使用するくらゐではないでせうか。
公の場では使へませんね。ビジネス文書を旧かなで書いたりすると、悪ふざけをしてゐるのかと思はれかねません。

著者は旧かなを支持するあまり、「現代かなづかい」を目の敵にしてこき下ろしてゐます。
ほんの60年ほど前に制定されたもので、それ以前の日本語はすべて旧かなであつたとつぶやいてゐますが、歴史的に見てそのほとんどは文語体であります。しかし文語体で文章を書くべきであるとは主張してゐないやうです。
すると、明治の言文一致運動以降の現代文に旧かなといふことなのでせうか。
もしさうなら、「歴史の中で長い時間をかけて洗練された」と尊崇するほどのものか。むしろ時代が激動する中で、過渡期に存在した徒花だつたのではないか...
国語改革が愚劣であつたことは否めないけれど、今となつては新しい時代に相応しい文体を創出することに腐心する方が前向きではないでせうか。

ま、私は旧かなづかひなど一度も書いたことはありませんから、良く分かりませんがね。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村


カレンダー
07 | 2009/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
プロフィール
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
FC2カウンター
FC2アフィリエイト
検索フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示
リンク
フリーエリア
ブクログ                                                      にほんブログ村 本ブログへ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。