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真理先生


真理先生 (新潮文庫)真理先生 (新潮文庫)


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真理先生
武者小路実篤【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1952(昭和27)年6月発行
1967(昭和42)年11月改版
2004(平成16)年7月改版


山谷五兵衛といふ人物の語りで話がすすみます。
真理(しんり)先生とは、本名は村野誠といひ、特段に仕事はしてゐないが、その人物を慕つて常に人が集まり、弟子が生活の世話をしてゐて、時たま講演などをして自由気儘に生きてゐる人。
山谷も噂で聞いてゐる間は、どこか胡散臭い人物と思つてゐたやうだが、実際に会ふと、これはなかなかの人物であると分かり、自分も頻繁に真理先生のもとへ通ふやうになつたのでした。

真理先生の理想論に過ぎると思はれる話を、登場人物は皆感動して聞いてゐます。中には泣き出す人もゐて、かういふ反応に現在の読者はひいてしまふのではないか、と心配します。
人生の明るい部分、あるいは人間の善意といつたものが前面に押し出されてゐるので、小さな事件があつてもすぐに解決し、誤解はすぐに打ち解けてしまひます。人間、当り前に生きてゐれば何も問題はないぜ、と言はんばかりの展開になるので、一種白痴的なストーリーとも申せませう。
しかしその単調さの中にあつて、救ひなのが「馬鹿一」と呼ばれる絵描きの存在ですね。

「馬鹿一」は石ころとか動かないものばかり一所懸命描いてゐるので、真理先生から「石かきさん」と呼ばれてゐます。結構な年齢(50-60代?)と思はれますが、「真面目な」「善人の」「努力家」を極端に突き詰めたやうな性格設定になつてゐるので、この小説内でも変人扱ひされてゐます。しかし、私にはこれが愛すべき魅力的な人物に思へるのです。お陰でタイトルになつてゐる真理先生の方が脇役みたいです。新潮文庫には同じ作者の『馬鹿一』といふ作品が以前あつたので、本来こちらを先に読みたいと念願してゐたのですが、現在絶版で私は未だに入手してゐないのでした。

この『真理先生』が絶版にもならず、平成の現代まで改版を重ねてゐるのは、意外な感じがします。
内容はどうみても前時代的といふか、今の読者からは鼻の先で笑はれてしまひさうなものに思へたからです。しかし今でも読まれてゐるといふことは、案外現在の人たちも、心の底では人間の善意を信じてゐるといふか、忘れてゐないのかな、と思ふと良い心持になります。
「仲良き事は美しき哉」と書かれた南瓜の皿が私の自宅にもあります。単純なことを単純に言はれると、確かに反論できず頷くしかないなあと改めて感じたのでありました。

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項羽と劉邦


項羽と劉邦 (1) (潮漫画文庫)項羽と劉邦 (1) (潮漫画文庫)


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項羽と劉邦<全12巻>
横山光輝【著】
潮出版社(潮漫画文庫)刊
2000(平成12)年11月発行(第1巻)


家人がまとめ買ひしたのを、自分も読ませてもらひました。
周知のやうに、横山光輝さんは5年前に自宅の火災により亡くなりました。
原因がタバコの不始末だといふのを聞いて、やりきれない思ひでしたね。あの超大物漫画家がかういふ最期をとげるとは、ファンは悔しかつたでせう。「項羽と劉邦」を全部一気に読んで、改めて残念に思ひました。

いはゆる楚漢戦争を中心に描かれてゐます。張良先生が秦の始皇帝暗殺に失敗する話から始まるのであります。ちなみに漫画家のつのだじろうさんは、自分は秦の始皇帝の子孫である、と述べてゐました。ふむう。
楚の懐王は、項羽と劉邦の2人に楚への進軍の際に、先に関中に入つた方に王を名乗らせると約束します。しかし項羽は劉邦に先んぜられたにも関らずこの約束を無視し、劉邦を攻めんとするのです。
劉邦は「鴻門の会」で、いやいや項羽さん、あなたに刃向うつもりはありませんよ、と弁明をして命拾ひする。張良先生の働きが特筆物であります。しかしその後軍事の天才・韓信を得た劉邦は勢力を増して行くのでした。

両者の戦ひは、司令塔-軍師-武将の関係の違ひが結果を左右したのでありませう。
劉邦は張良・韓信に信頼を寄せ、その実績に恩賞を出すが、項羽は亜父とまで呼んだ范増さへ信頼せず使ひこなせなかつた。もし項羽が范増の意見を入れて、鴻門の会で劉邦を亡き者にしてさへいたら、その後の展開はまるで違ふものになつただらうに。また、韓信を重用しなければ殺せといふ進言も無視するのでありました。これでは范増ならずとも、愛想を尽かしたくなるといふものです。

項羽の死までを描き、漫画は終つてゐます。一番美味しいところを抽出した感じですね。日本人が好む部分といふか。韓信の悲劇も、劉邦の粛清も見なくて済むのです。
自らの絶対的な力を信じ配下を軽んずる項羽と、自分の力量を知り有能な部下を使ひこなして結果を出した劉邦。日本でもさまざまな場所で教訓として語られますが、本国である中国では項羽の人気があるやうです。私の知り合ひの中国人数人に聞いたところ、全員が「劉邦は嫌ひ。あれは悪い奴だ」と吐き捨てるやうに語るではありませんか。項羽の方が好感が持てるのださうです。
もつとも、サンプル数が少なすぎ、さらにその全員が女性なので、はつきりは言へませんが...


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ヴィヨンの妻


ヴィヨンの妻 (新潮文庫)ヴィヨンの妻 (新潮文庫)


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ヴィヨンの妻
太宰治【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1950(昭和25)年12月発行
1969(昭和44)年11月改版
2009(平成21)年3月改版


「ヴィヨンの妻」の映画が公開されて話題になつてゐるやうです。私は観てませんが。
小説家・大谷は優しくて器量よしの妻がありながら、毎日遊び歩いてゐます。
挙句に、行きつけの店で酒代を溜めて、借金を踏み倒さうとするばかりか、店の酒まで勝手に持ち出すありさま。いけませんねえ。
妻は夫の借金を返すためにその店で働き始め、瞬く間に客の間で人気者になるのでした...

本書にはそのほか「桜桃」「家庭の幸福」「トカトントン」など最晩年の傑作群が収録されてゐます。
「桜桃」はその昔、石坂浩二さんの主演でテレビドラマになりました。実に太宰つぽい雰囲気を出してそれはそれは不味さうに桜桃を口に運ぶ演技が忘れられません。子供より親が大事。

市井の常識人からすると、これらの作品に登場する主人公は皆だらしがなく、自分本位で、極めて唾棄すべき人物として映るのでせう。「苦悩」だつて? 馬鹿言つてんぢやないよ、この甘つたれがといふ感じでせうか。
一連の作品を私小説と看做して、太宰治本人への攻撃をする人も未だに多いのです。
確かにいづれも死の予感を感じさせる陰がありますが、私はそれ以上に読者へのサービス精神が健在であることに感嘆するものであります。プロ意識と申せませうか。芸術は「心づくし」である、「奉仕」であると述べた人の作品らしい。
太宰を「卒業」したと思つてゐる人たちに、大人になつた今こそ読むべしと訴へたいですね。

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ヤクルト・スワローズ 栄光への道


ヤクルト

ヤクルト・スワローズ 栄光への道
豊田泰光【著】
日新報道出版部刊
1978(昭和53)年10月発行


クライマックス・シリーズとやらで我がスワローズは、呆気なく中日球団に敗れ、今年のすべての試合が終つたのでした。まあ順当なところでせうね。Aクラスとはいへ、借金を抱へたチームが日本シリーズへ進出しては世間がかまびすしいでせう。ま、来年来年。
とはいへ、やはり口惜しいので、こんな本をとりあげてしまひました。一種の鬱憤晴らしと申せませうか。
今から31年前にスワローズが初優勝した時に、野球解説者の豊田泰光さんが書き下ろした優勝への軌跡を記したものであります。珍品ですね。

豊田さんといへば、雑誌で「オレが許さん!」などと辛口評論で有名ですが、本書の性格上、ご祝儀的な筆致です。
しかし指摘すべきところはやはり手厳しい。特にこの年の優勝は、完全に「打高投低」であり、左右両エースといはれた安田、松岡でさへ防御率はそれぞれ3.93、3.75と優勝チームの主戦投手としては物足りないのでありますが、その点に関して豊田さんは容赦はありません。同時に、キャンプからの改善案も提示するなど、解説者の顔をのぞかせてゐます。

そして優勝争ひの末敗れた長嶋巨人(第一次)に対しては、より厳しい指摘をしてゐます。
一言で言へばV9時代の中心選手たちに未だに往年の力があると勘違ひして、若手を育てることもせず、敗れるべくして敗れたのであると。川上野球を継承できなかつたのであります。
一方、当時のスワローズ監督・広岡達朗氏は川上哲治氏とは犬猿の仲と言はれてゐたが、実は広岡監督がスワローズにて川上野球をしたとの指摘があります。今ではこの見方が一般的ですが、おそらく最初の指摘をした一人が豊田氏でした。

さて来年は高田監督の3年目。開花を期待して、筆を擱くとしませう。

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素直な戦士たち


素直な戦士たち

素直な戦士たち
城山三郎【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1982(昭和57)年 3月発行


千枝はお見合ひの席で、普通では考へられない質問を連発します。
あなたのIQ(知能指数)はいくつ?
出世したいですか? 諦めてゐる? それは結構なこと。
御趣味は? 無趣味なの? 結構な答へです。

千枝は、今後生れるであらう自分の息子(と決め付けてゐる)に、徹底的な英才教育をし、東大に合格させることに人生の目的を決めてしまつてゐたのです。
その第一歩として、その父親になるに相応しい男性を物色してゐたといふ訳であります。
IQ153、出世に興味なし、趣味無しの松沢秋雄は理想的な相手として千枝は結婚を決めました。
IQの高い男児を出産するのは、25-26歳がベスト、といふ情報を得て、24歳に見合ひをしたと、まづそこから始める周到さであります。

待望の長男が誕生しますが、母親の千枝は、彼に自分が出来るすべてを注ぎ、英才教育をほどこします。並みの教育ママではありません。当然夫の秋雄にも協力を求めます。秋雄は振り回されながらも千枝の真剣さに圧倒されて従ふのであつた。
二人目の子供を産むまでには、3年の間隔を空ける計画だつたのですが、年子の弟が生れます。
これがまづ最初の計画違ひと申しませうか。
最初はごく小さなほころびから、悲劇的な結末へ一気に話は進んでいくのでした...

実はこの作品、30年くらい前にテレビドラマになつてゐます。当時私も観ました。
城山三郎さんの原作と知り、経済小説の城山氏がホームドラマ? と意外に思ひました。テーマ曲まで耳に残つてゐます。
千枝役は長山藍子さんで、鬼気迫る母親を演じました。夫は中谷一郎さん。そのおろおろぶりが印象的。風車の弥七よ、もつとしつかりしろとつひ声をかけたくなるほど。

さてこの小説、さすがにここまで戯画化されると教育問題としては「良質な大人の寓話」と捉へる人が多いかもしれませぬ。しかし根底にあるのは、やはり親子関係の問題ではないでせうか。
親離れ、子離れできぬ親子、子供にしか生甲斐を持てない母親、美味しいところだけしやしやり出る父親...30年経つて、大きく変つたと、果たして言へるでせうか。

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モラトリアム人間の時代


モラトリアム人間の時代 (中公文庫 M 167)モラトリアム人間の時代 (中公文庫M167)


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モラトリアム人間の時代
小此木啓吾【著】
中央公論社(中公文庫)刊
1981(昭和56)年11月発行


元来「モラトリアム」とは金融・法律用語で、支払を延期・猶予する時に駆使するといふことです。
従つて、亀井静香金融相がいふ「モラトリアム新法」は本来的な用語の使はれ方といへませう。
この言葉を心理学の概念に持ち込んだのは、米国の精神分析学者エリク・H・エリクソンといふ人で、さらに日本に於いて小此木啓吾氏が「モラトリアム人間」なる言葉を定義したのでした。

まあ世間的には、人間が一人前になる以前の猶予期間(学生時代など)をモラトリアムと捉へ、その時期を過ぎてもなほモラトリアム状態から脱皮する意思がない人、でせうか。
といふことで、「モラトリアム人間」は悪い意味に捉へられてゐることが多いやうです。
実際「文庫版まえがき」によると、(自分を棚に上げて)本当にモラトリアム人間には困つたものだとか、全く近頃の若い者、日本人は心配だとかいふ反響が多かつたさうです。山本ベンダサン氏の解説さへ、心の奥底にはさういふ否定的な見方が窺はれる。

もちろん小此木氏の本意はさうではありますまい。現在の(執筆当時のこと)モラトリアム人間がいかにして誕生し、日本社会の中で存在してゐるかを我々の眼前に鮮やかに示したのであります。
しかもそれは個人の域に留まらず、集団としてのモラトリアム化が進み、もはやモラトリアム人間への理解なくして、日本社会の現状を把握できないと言つても過言ではないでせう。
さういふ私も、すでにおつさんになりながらもなほ、「今の自分は本来の自分が落着く場所にはゐない」などと内心つぶやくモラトリアム人間であります。
「母親のモラトリアム人間化」では、すでに母性愛神話の崩壊に言及してゐるなど、現代(2009年)の我々からすると、著者の診断はまことに的確に将来を占つてゐたのではないでせうか。

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女流阿房列車


女流阿房列車女流阿房列車



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女流阿房列車
酒井順子【著】
新潮社刊
2009(平成21)年9月発行


『女子と鉄道』で鉄子ぶりを披露した酒井順子さん。今回は何と「阿房列車」を名乗ります。
内田百-阿川弘之-宮脇俊三と続いた系譜は、宮脇氏が亡くなつたことにより途絶えたかと思はれましたが、ここに後継者が現れたか、といふ阿房ぶりであります。
「女流阿房列車」の特質は、旅のプランはすべて新潮社のT氏(「出版界一の鉄人」ださうな)によるものであり、酒井さんはその過酷な旅程の遂行に全力を尽くす、といふ点でせうか。
従つてどちらかといふと「鉄子の旅」文章版と表現する方が近いかも知れませぬ。
(実際に「鉄子の旅」とのコラボレーションが実現、本書にも菊池直恵さんの漫画が収録されてゐます。)

東京の地下鉄を1日で完乗したり(メトロな女)、廃線跡を訪ねたり(廃線跡の女)、最終旅の帰途に「個室寝台車」に乗つたり(旧国名駅の女)、宮脇俊三さんへのオマアジュとしての旅も目立ちます。私は「東海道五十三乗りつぎ(膝栗毛な女)」が面白かつた。終盤で、あと3乗りつぎ足りない!とか言つて無理矢理近江鉄道に乗るくだりなど、笑ひました。また、愛知県人としては地元の愛知環状鉄道、リニモ、ガイドウェイバスなどが取上げられてゐるのが嬉しい。酒井さんの「しかし『愛環梅坪』って、妙になまめかしい駅名だなぁ」といふ感想には驚きました。旅人の視点とは面白いものです。

巻末には、『鉄道ひとつばなし』以来、「テツ学者」として有名になつた原武史さんとの対談があります。酒井さんとはなかなか意見が咬み合はないところが愉快であります。これは男女差といふよりも双方があまりに特異な嗜好を持合せてゐるためと思はれます。
「小説新潮」誌上での阿房列車は完結した模様ですが、酒井さんにはぜひとも列車に乗り続けてもらひ、続篇を期待するものであります。
では、失礼。

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千恵蔵一代


千恵蔵一代

千恵蔵一代
田山力哉【著】
社会思想社(現代教養文庫)刊
1992(平成4)年6月発行


社会思想社といへば、もう7年も前に倒産した出版社なのですが、映画関連でも良い本を多数世に問ふてゐました。倒産に伴ひそれらのほとんどが絶版になつてしまつたのはまことにもつたいないことであります。例へば教養文庫の映画本なんかは、どこかの出版社が復刊してくれないものでせうかね。

その中の1冊、『千恵蔵一代』はタイトル通り片岡千恵蔵の生涯を追つた名著と申せませう。
千恵蔵といへば、市川右太衛門とともに東映を支へた時代劇の大スタアであります。机竜之介や遠山金四郎など、当たり役が多い。
私などは、本来苦肉の策として誕生した多羅尾伴内がお気に入りであります。戦後しばらくは、GHQの通達により、時代劇の制作が困難になつてゐました。そこで現代劇を、といふことで作られました。

千恵蔵が刀の代りにピストルを持つて、七つの顔に変化する。つまり変装するわけですが、どこから見ても千恵蔵以外の何者でもない。しかし皆は気付かないといふ映画的お約束でございます。小林旭の渡り鳥が歌ふ場面では、悪者が絶対に襲はないのと同じですね。
ある時は片目の運転手、ある時は手品好きのキザな紳士...で、探偵多羅尾伴内も実は仮の姿で、その実態は「正義と真実の使徒、藤村大造」と見えを切るのであります。「使徒」ではなくて「人」だといふ意見もあります。何しろ御大の発音は聞き取りにくいのです。(遠山の金さんでも、桜吹雪を見せて啖呵を切る場面では聞きとれない) さういへばラストシーンで、人知れず藤村大造が去る時に、何やらメッセージをつぶやいてゐます。きつとカッコイイことを言つてゐるのだらうと推測されますが、いかんせん聞きとれないので、理解できぬのであります。

これほどの大スタアも、私生活は恵まれなかつたやうです。身から出た錆とはいへ、晩年の闘病生活のさなかでも、妻や子供が見舞いに来る事は無かつたらしい。愛人や取り巻きが面倒を見てゐたのでありますが、彼らは千恵蔵の葬儀にも出席を許されなかつた。妻が断固拒否をしたさうです。
これには、義憤を感じますね。まあお互ひ言ひ分があるのでせうが。
本書では、ライバルの市川右太衛門は対照的に、息子北大路欣也との共演などで満ち足りた老後を送つてゐるやうな書き方をしてゐますが、実際には、右太御大が亡くなつた時、不遇な晩年が報道されてゐました。
スタアといへども、私生活においては人知れぬ悩み、屈託があるのですね。当然ですが。

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鉄道公安官


鉄道公安官

鉄道公安官
島田一男【著】
春陽堂書店(春陽文庫)刊
1976(昭和51)年7月発行


鉄道公安官とは俗称で、正式には鉄道公安職員と呼ぶのですが、小説やテレビドラマなど、娯楽作品のタイトルとしては、やはり鉄道公安官がぴたりときます。
もちろんこれは国鉄時代の話。現在は鉄道警察隊ですね。

娯楽小説王・島田一男さんの『鉄道公安官』シリーズは、好漢・海堂次郎がさまざまな怪事件を解決してゆく昔ながらの探偵小説の趣を持つてゐます。
「スリ団の一味をさがしに乗りこんだ上り急行“出雲”で事件は発生した!(中略) 大阪から乗った客、東都工業大学助教授大久保秋郎が東京・熱海間で寝台車から姿を消してしまった!? 大久保はガソリンのG組織に関するいっさいの研究結果を一千五百万円で三洋石油へ譲渡したという。G組織とは!? 大手会社の三洋石油とは!? 鉄道公安官の鋭い探索は開始された! 大久保の妻かつ子とその愛人安積英彦が殺害され、大久保も水死体で発見された! 真相を追う鉄道公安官のまえに出現した真犯人は!?」(春陽文庫版のカバーより)

どうです。王道でせう。海堂次郎の性格付けは、後期の作品よりも品行方正な印象であります。理由として、シリーズ初期は、「私」といふ一人称で語られることがありませう。
かういふ小説は、三人称で作者が突き放したやうな文体がよろしい。はたせるかな、後期は海堂氏、かなりはめを外してゐます。
ドラマの鉄道公安官では、鉄道用地内を離れた事件も公安官がどこまでも捜査に加はり、犯人を殴り倒したり被害者に説教したりするのですが、さすがに我らが海堂次郎は、警察に事件を引き継ぎます。なんだつまらないと思ふなかれ。いざとなれば大活劇も辞さない側面も持合せてゐるのです。

現在は絶版。私が所持するのは春陽文庫版ですが、徳間文庫版なら今でも入手できるのではないでせうか。

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本多勝一はこんなものを食べてきた


本多勝一はこんなものを食べてきた本多勝一はこんなものを食べてきた


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本多勝一はこんなものを食べてきた
堀田あきお/堀田佳代【漫画・文】
本多勝一【原案】
七つ森書館刊
2004(平成16)年11月発行


ジャーナリストの本多勝一氏が少年時代に食べてきたさまざまなものを、マンガで紹介してゐます。
そもそも「週刊金曜日」で長期連載され、小学生編が朝日新聞社から「本多勝一のこんなものを食べてきた!」(書名が微妙に違ふ)のタイトルで1999年に単行本として出てゐたのです。
私はその本を所持してゐたので、本屋でこの七つ森書館版を発見した時、朝日新聞社版と同内容と思ひこみ看過してしまひました。

後年本書の内容を再確認すると、旧制中学編・高等学校編すべてが収録された「完全版」であることが分かり、改めて入手した次第であります。
とにかく色色なものを食べてゐますね、本多少年は。目次を概観しますと、意外と昆虫類が少ないですね。「ゴトウムシ」(カミキリムシの幼虫)なんて、とても印象深かつた。

単純にマンガとしても楽しい読み物であります。「ショウちゃ」(本多勝一)を取り巻く人々が良いですね。特に親友の「ヨネちゃ」(心優しい)と、その弟「キイちゃ」(負けず嫌ひで意地つ張り)の兄弟は良い奴らだ。
そして成長してくると、中学では同い年の瑤子ちやんが気になる年頃になり、高校では進路に悩むなど本多少年が身近に感じられます。怖い本多勝一とは別人のやうです。

最後に収録された「そして50年後、伊那谷は今......」では、本多氏自身がマンガ担当の堀田あきお・佳代両氏に故郷の川を案内します。
そこは、コンクリートで固められた水路に変貌して、更に上流まで工事が進められてゐました。
ほかにも、開発によつて変貌した故郷を前に、本多氏は嘆きます。「われわれ大人は―/もうとり返しのつかない大変なことをしでかしてしまったんじゃないのか―?」
マンガでは、最後に少年時代の「ショウちゃ」「ヨネちゃ」「キイちゃ」が幻影として登場し、思はず本多氏が振り返るところで終つてゐます。切ないですね。
本書に登場した食べ物は、環境の変化により、おそらく現在では食べられないものが大半なのでせう。残念。

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