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紅い椿の花咲く森に


加藤芳明フォト・エッセイ集〈13〉紅い椿の花咲く森に (加藤芳明フォト・エッセイ集 (13))加藤芳明フォト・エッセイ集〈13〉紅い椿の花咲く森に (加藤芳明フォト・エッセイ集 (13))



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紅い椿の花咲く森
加藤芳明【著】
遊人工房刊
2008(平成20)年12月発行


一年の終りは、難しくて暗い本はやめて、かういふほのぼのしたのがよろしい。
加藤芳明さんの、現在のところ最新のフォト・エッセイ集であります。(第13集)

第1集「早春の小鳥たち」以来、清冽な印象を残す写真と詩で、独自の世界を展開してゐます。
手に取つてみると、つい時間を忘れて見入るキレイな写真です。
「森の生命」とか「自然への回帰」といつたところがテエマでせうか。
プレゼントブックにもおすすめであります。

実は、書店員の頃、加藤芳明さんの自宅にお邪魔したことがあります。
当時このシリーズは、トーハンや日販といつた大手の取次が不扱ひだつたため、納品のため直接岐阜県関市の自宅まで伺つたのであります。
若造(当時の私)相手にもすこぶる丁寧な応対で、気さくな人柄を思はせる方でした。炬燵に招かれ、蜜柑までご馳走になりました。加藤さんは覚えてゐないでせうが。
著者として、1000円前後の手頃な価格で読者に提供したいとの思ひから、安価で出版してくれる会社から本を出してゐるのだが、その出版社はトーハン、日販との取引がないので書店さんに不便をかける、みたいな話をされてゐましたね。(現在は取扱があるやうです)
ほかにも、写真にまつはる秘話、ご自身の健康の話(病気療養中だつた)など、色色な話を聞きました。
その暖かな人柄そのままの作風です。
機会があれば、ぜひ手に取つてみてください...

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本のお口よごしですが


本のお口よごしですが (講談社文庫)本のお口よごしですが (講談社文庫)


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本のお口よごしですが
出久根達郎【著】
講談社(講談社文庫)刊
1994(平成6)年7月発行


古本屋の話であります。
本書でも少しふれてゐますが、近年の古本屋といへば、新刊書店みたいに明るいチェーン店が主流のやうですね。
チェーン店なので、買取の作業や値付けなども標準化・単純化されてゐます。
その名を聞けば誰でも知つてゐるブック○フといふ店は、ある期間売れないものは問答無用で100円コーナーへ移動するみたいですね。
私もたまに店に入つてみますが、高価な専門書とかが100円で販売されてゐるのを見ると、複雑な思ひがします。
井狩春男さん(取次ぎの鈴木書店の人)によると、専門の古書店の人がブッ○オフに「仕入れ」に行くさうです。

出久根達郎さんは古本屋のあるじ兼小説家であります。
本書にも、古本屋をめぐるさまざまな話が、数へてみたら150篇以上収録されてゐます。
一篇一篇は短いのですが、よくこれだけ話の種があるものだと感心します。
本や人に対して関心が高くなければ、かうはいきますまい。
その姿勢と文才が相まつて、名作エッセイ集が生まれたのであります。
余程のへそ曲がりか、極端な本嫌ひでなければ、きつと満足できる内容であると申せませう。

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どこかで誰かが見ていてくれる


どこかで誰かが見ていてくれる―日本一の斬られ役・福本清三どこかで誰かが見ていてくれる―日本一の斬られ役・福本清三


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どこかで誰かが見ていてくれる
福本清三/小田豊二【著】
創美社刊
2001(平成13)年11月発行


ある種の映画を観てゐると、必ずその顔を見せてくれる俳優が存在します。
例へば私は昭和30-40年代の東宝映画を良く観てゐますが、ほとんどの映画で登場するのが、勝部義夫さんといふ俳優です。
ノンクレジットで、台詞もない場合が多いですが、この人の顔を見ると何故だか平和を感じて、良い心持になるのであります。ウルトラセブンでは準レギュラーといつて良いほど出演してゐます。なかなかの男前。
テレビで相撲中継を見てゐて、杉山邦博さんを発見した時の心情に似てゐるでせうか。

そしてこの福本清三さん。
福本清三さんは元東映専属の大部屋俳優ですが、東映映画よりもテレビの時代劇や刑事ドラマでの印象が強いですね。
やはり台詞がない役が多いのですが、時代劇の斬られ役として実に印象的な俳優さんです。
主役に斬られる時は、目一杯海老ぞり、画面狭しとその苦痛に歪む顔を披露するのであります。
「どこかで誰かが見ていてくれる」といふタイトルは、初めて深作欣二監督と仕事をした時に、自分の演技に対する慢心を監督にたしなめられて以来、一生懸命与へられた役をやつてさへゐれば、誰かがきつと、どこかで見ていてくれると思ふやうになつたことから付いてゐます。

時代劇の現状を嘆く発言もちらほら。単に制作本数が減少しただけでなく、内容のひどさに憤慨してゐます。
脚本家は勉強不足で、若い監督も時代劇を知らないからシナリオを現場で直せず、頓珍漢な演出をしてしまふのであります。
これは時代劇をリードしてきた東映に責任がありますね。昭和30年代の後半には、制作費高騰や観客の減少などを理由に、時代劇の制作を止めてしまつたからです。代りに仁侠映画を多作し、人気を博すのですが...この流れに他の映画会社も右へ倣へと続き、結果劇場映画用の時代劇は壊滅状態になつたのでした。
細々とでも続けてゐれば、それなりにスタッフも育ち、現在のやうな惨状は避けられたのではないでせうか。
時代劇を知らぬ監督が、知識のなさを糊塗する為に「新しい時代劇」などと言つて制作するのは、観てゐて恥づかしいものがあります。

小田豊二さんの聞き書きといふ形で表現されてゐるので、福本清三さんの口調や人柄がそのまま伝はり、臨場感があります。幼時の思ひ出、貧乏な少年時代、ブレザーを買つてくれた姉...泣ける話ですが、福本清三さんに言はせると、きつと「しようもない」と照れるのでせう。

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心霊科学入門


心霊科学入門

心霊科学入門
板谷樹/宮沢虎雄【著】
日本心霊科学協会刊
1974(昭和49)年2月発行


いささか毛色の変つたものを。
いはゆる心霊現象を荒唐無稽な馬鹿話として切り捨てる人には無縁な、唾棄すべき書物でありませう。
しかし「心霊科学」といふやうに、これは科学として一つの体系を為してゐます。なかなかうつとりさせるのであります。要するに面白い。
著者の意気込みとしては、冒頭でレオナルド・ダビンチの言葉「知識とは事実の集積である。しかしその事実は実験その他の合理的な方法で、その事実である事が確証されたものでなければならない」を引用し、本書でも観念を捨て事実だけを述べると宣言してゐます。
「ただ困ったのは怪談で、心霊現象を興味本位で誇張、捏造したため、これが正しい心霊現象をも頭から馬鹿にし、また迷信扱いさせる原因となり、心霊科学の普及を著しく遅らせている」とも指摘します。
ちやうどスプーン曲げのニセモノが出現した時に、これをもつて「超能力は存在しない」と主張するやうなものですね。

入門書としては、必要最小限の内容を詰め込んでゐますが、章立てがいまいち分かりにくくなつてゐます。
第三章で有名な「ハイズヴィユ事件」を述べたあとに、第五章「心霊科学について」といふ概観が語られる。
様々な心霊現象(自動書記とかエクトプラズムとか騒々しい幽霊とか)をまづ一通り説明した後、実際の事件を紹介した方が良いでせう。
それから写真については、鑑定済みのものなのか。つのだじろう『うしろの百太郎』は本書を参考文献として紹介してゐますが、登場人物(主人公後一太郎の父である後健太郎)に、妖精の写真は疑はしいと言はせてゐます。確かに我我が抱く一般的な妖精(フェアリー)のイメエヂそのものすぎますね。もつとも、それをもつてニセモノの写真であると断定はできないけれど。
全体としては、当時(35年くらい前)の現状をコムパクトに伝へる好著と思ふのですが、もう入手は難しさうですなあ...ネット書店でも探せません。とりあへず徳間書店のこんなのがあるやうです。

肯定派も否定派も冷静になつて再度考へてみませう。しかし、「何か不思議なもの」がある、と考へた方が面白いと思ひますけどね...

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そよ風ときにはつむじ風


そよ風ときにはつむじ風

そよ風ときにはつむじ風
池部良【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1995(平成7)年7月発行


池部良さんが文筆家としての活動を始めてから、すでに久しい年月が経過してゐます。
映画スタアとしての池部良についてはここで改めて語るまでもなく、私なんかは不世出の名優と考へてをりますが、名文家としての名声も高く、著書も多いのであります。
ちなみに劇作家井上ひさしさん(先日肺がんを公表、入院中ださうです)の少年時代、仙台地方で「上原謙に宮城県、池部良にスケベリョウ」といふ文句が流行つたさうです。
私の父(鹿児島県出身)も、私が池部良出演の映画を観てゐると「お、スケベリョウが出てゐるな」と言ふので当時はきつと全国でスケベリョウと呼ばれてゐたのでせう。

『そよ風ときにはつむじ風』は、父と子をテーマにした随筆集です。毎日新聞に連載されたのですが、好評につき『続』『続々』も執筆されてゐます。
池部さんの父親は有名な洋画家、漫画家であつた池部鈞。江戸つ子であります。
とにかく口が悪い。笑つてしまふ程であります。妻子に対して「脳が悪い」などと放言します。
父権社会の権化。きつと読者の中には、眉をひそめ、前時代的な封建主義と指摘する人もゐるでせう。
しかし私の見るところでは、池部鈞氏は当時の「我儘な江戸つ子をやぢ」を演じるのに必死で、妻子に愛情を注ぐ方策を知らぬのでせう。不器用な人であります。昔の父親は威厳を保つのに必死であつたので、時には理不尽な言動で誤魔化すこともあつたでせう。ま、女房子供からすると冗談ぢやないよといふところですが。

池部良さんの文章は抑制が効いてゐて、かなりえげつない内容でも下品にならずにユウモワを湛へてゐます。
特にお手伝ひの「ふきちゃん」にまつはる記述は、一つ一つどきりとさせられるものばかりです。いくら戦前の話とはいへ、18歳の乙女に何てことするんだ、鈞さん... 仮に現代に家政婦とかで派遣されたとしたら、わずか1日で「もう池部さんの家は、絶対嫌です!」と拒否されることでせう。

当時の世相や習慣なども多く記述があり、興味深く読めます。
もはや俳優のテスサビの域を越えた文章と申せませう。

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博士の愛した数式


博士の愛した数式 (新潮文庫)博士の愛した数式 (新潮文庫)



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博士の愛した数式
小川洋子【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2005(平成17)年12月発行


体調を悪くして、布団の中で大部分を読みました。寝床で読書をするとはかどるのはなぜでせうか。
今も臥せつてゐますが、一寸起きてPCに向つてゐます。病気をして初めて分かる健康のありがたさ。しかし全快するとけろりと忘れます。救ひ難い奴だと申せませう。

...この有名な小説についてはもう衆知のことでせうが、私は正真正銘今回が初読でございます。
数学者である「博士」は、17年前の交通事故により新たな記憶を積み上げることが出来なくなりました。1975年で記憶が停止してしまひ、その後は新たに覚えてもその記憶は80分しか保てないのであります。
80分といへば、映画1本ほどの時間もありません。比較的短い、昔のプログラムピクチャーでも90分前後ありますね。
新東宝映画は80分以下の作品が結構あつたな...といふくらゐのもの。
この80分ルールを設定したことで、この小説の成功は半分約束されたやうなものですね。ちょつとずるいよね、とも申せませう。

家政婦の「私」とその息子たる「ルート」が、博士との交流を深めれば深めるほど、悲しい結末が待つてゐるのではないか、と予想してしまふところです。「未亡人」のせりふ「義弟は、あなたを覚えることは一生できません」が分かつてゐるから。結末への期待と不安がない交ぜになつて、ページを捲る手も早くなるのでした。
登場人物はすべて固有名詞を廃してゐます。つまり、例へば「駒子」とか「時任謙作」とかいふ名を使はずに、固定したイメエヂを植ゑつけるのを拒否してゐます。普通小学生の息子は名前で呼ぶところを、博士の言を借りて「ルート」と呼ばせてゐるのは、意図的なものでせう。

そして成功要因のもう半分は、江夏投手(背番号)の登場ですね。私がプロ野球を見始めた頃は、江夏投手も田淵捕手もすでに肥満化が進んでゐて、タイガースは「阪神部屋」などと陰口を叩かれてゐたものです。
ま、それはそれとして、阪神時代の江夏の背番号28が完全数といふものださうです。その約数の和が一致するものをさう呼ぶらしい。即ち1+2+4+7+14=28。
ここに、数式が主人公といふ世にも珍しい小説の完成となります。ぴたりと決まる。美しい。
偏屈にならずに、評判になつた本も読んでみるといい、といふことですかな。

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完本・地獄くん


完本・地獄くん (QJマンガ選書 (04))完本・地獄くん (QJマンガ選書 (04))



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本・地獄くん
ムロタニ・ツネ象【著】
大田出版刊
1997(平成9)年7月発行


「苦心さん、このマンガ面白いよ」と、以前同じ職場で働いてゐた女性に薦められました。
表紙を見ただけで「うわッ、変な顔」と興味をそそられました。実際変ですよね。
貸してくれると言つてくれたのですが、若干の逡巡の後、自分で注文して取り寄せました。
知る人ぞ知るの有名なマンガのやうです。
貸本マンガの雰囲気ですが、黎明期の「少年サンデー」に連載されたとか。ほほう。

第1話「スペア・タイヤの悲鳴」から第4話「一万円札の中」までは正統な勧善懲悪の話。地獄くんの強烈な、あまりに強烈なキャラクタアでぐいぐい読ませます。といふか、それ以外ない。
地獄くんの胸ポケットに入つてゐる「万年とっつあん」が良い味出してます。死んだ女性を甦らせたり、火事に巻かれた絶体絶命の子供を繭で守つたり、大活躍であります。
悪玉は「目には目を」のハンムラビ法典式で討伐されます。あるいは「ザ・ハングマン」のダーク版でせうか。

第5話「地獄の声」は、正義感の強い少年・三太郎くんの悲しい物語。自分の命と引換へても、悪事は看過出来ぬ真面目な少年です。せめて彼の魂は死界で安らかにあらんことを。
最終話「死神工場の巻(前後編)」は、それまで無敵のスーパーマンだつた地獄くんが、囚はれの身になるなど、大苦戦を強ひられます。活劇がエスカレートして作者も収拾がつかなくなつたのか、脱出を試みる地獄くんたちが再び閉ぢ込められ、地獄くんが「死神めっ!!......」とつぶやくところで(未完)となつてゐます。何といふことか。

併録された「スリラー小僧 恐怖のハエ男」に至つては、もう何が何だか分からない。
ハエ男が何なのか結局分からないのです。騒動を無意味に引張る割には、結末があまりに呆気ないし。
まあ読んでみてといふしかありませんね。いや、読まなくても...

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私の個人主義


私の個人主義 (講談社学術文庫 271)私の個人主義 (講談社学術文庫 271)


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私の個人主義
夏目漱石【著】
講談社(講談社学術文庫)刊
1978(昭和53)年8月発行


夏目漱石の講演集であります。いやあ面白い。
面白いといふと語弊がございますか。
鹿爪らしい顔をして気取つてゐる有名な写真がありますが、実際にはきつと茶目ツ気のある人なのでせう。

「道楽と職業」に於ける道楽とは、まあ学者とか芸術家とか、さういふ職業のことを指してゐます。
官吏や会社勤めと違ひ、自分の匙加減で仕事をする人たち。やくざな職業と思はれてゐたのでせう。
それにしても明治44年当時、漱石はすでに職業の細分化に触れてゐます。
「現代日本の開化」では、「開化は人間活力の発現の経路である」と定義します。何だか良く分かりませんね。
そこで積極的な活動と消極的な活動に分類して論を進めるのですが...漱石は現代日本の開化は上滑りの開化と断じ、日本の行く末は悲観的だと嘆いてゐます。当時こんなことを公で発言しても大丈夫だつたのでせうか。日露戦争が終つてまだ間がなく、やあ日本はあのロシヤに勝つたのだ、世界の一等国だなどと浮かれてゐた頃でせう。
「中身と形式」を見ますと、明治維新からまだ50年に満たない中途半端な時代を感じます。一般大衆に於ける善悪美醜の複雑化が窺へます。
「文芸と道徳」では、当時の文学の主流である浪漫主義・自然主義と道徳の関係を説きます。自然主義文学に対して、案外寛容な物言ひですね。
「私の個人主義」の主張は、危険思想扱ひされなかつたのだらうかと、心配になります。もちろん現代の私が明治の漱石を心配しても詮無いことでありますが。国家より個人が優先されるなどと説く漱石。カッコイイのであります。

さすがにかつて千円札の顔になつただけありますね。大衆の味方。私は再び千円札に復帰して貰ひたいと祈願するものであります。現在の千円札の人は、偉い博士ですが、どうもあの親不孝ぶりが気に入らない...

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表裏源内蛙合戦


表裏源内蛙合戦

表裏源内蛙合戦
井上ひさし【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1975(昭和50)年3月発行


平賀源内は不器用なのか、器用貧乏なのか、とにかく評価の幅が大いにぶれる人物であります。
一つことに専念できず、いろいろ手を出した挙句、どれも中途半端で大成できなかつたといふ印象ですね。
作者は源内のことを他人とは思へないと書いてゐますが、両者は大きな違ひがありますよね。
井上ひさしさんは数十年に渡り劇作の第一線で活躍してゐます。(小説も書きますが)その才能を無駄に分散させることなく活動を続けてゐるのです。

「表裏源内蛙合戦」は、題名の通り、表の源内と裏の源内が争ひながら、その生涯をなぞるお芝居。
表はいはば外づらですな。ええかつこしいです。裏の源内はどろどろした本音を語る、本能の部分と申せませう。
普通なら一人の人間の中に両者が存在して葛藤するわけですが、ここでは裏が独立した人格で存在するのであります。これは嫌ですねえ。だから表の源内は裏の源内を抹殺せんとするのですが...あ。

初演の演出は熊倉一雄さんださうです。一体どんな舞台になつてゐたのか、想像するだけで楽しい。当時の観客がうらやましいのであります。
本書にはもう一篇、「日本人のへそ」が収録されてゐます。作者の出世作で、これまた強烈なギャグ、風刺、駄洒落、語呂合せの勢揃い。腹を抱へるのであります。
井上ひさし氏初期の傑作2篇が同時に読める嬉しいカップリングなのに、絶版。ああ。

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翻訳上達法


翻訳上達法

翻訳上達法
河野一郎【著】
講談社(講談社現代新書)刊
1975(昭和50)年10月発行


例へば英語の文章を日本語に訳す時、英文和訳と翻訳ではその内容が違ふ。
といふことを本書で知つたのがもう30年以上前でございます。
ちなみに著者は河野洋平さんの父ではなく、JOCの人でもありません。念のために。
当時、学校英語学習のために何か役に立つかと考へて読み始めたのですが、その目的はほとんど達せられませんでした。では本書に失望したのかといふと全く逆で、期待以上の興奮を得ることができたのであります。実に面白かつた。
以降私は翻訳といふものに興味を持ち、月刊誌「翻訳の世界」の定期購読を近所の本屋に申し込みに行つたものです。
本屋ではアルバイトの女子大生おねいさんに「きみ、そんなに小さいのに(私は小柄で童顔だつた)こんな難しい本読むんだねー、えらいねー」と誉められていい気になつてゐたものです。

さて、カバー表紙にも記述がありますが、翻訳とは「異なる文化との格闘」と申せませう。
私は本書を読んで、世間には翻訳に対して2つの大きな誤解があると感じました。

その1。「翻訳力は、外国語の能力が一番必要である」
もちろん外国語が全然できなくては話になりませんが、それ以上に、例へばイギリスの書物ならイギリスの国情、文化、習慣、伝承に通暁し、それを日本語で表現できる力が必要だと思ひます。
何となく自分の母語である日本語については、日本人なのだから当然知つてゐると漠然と考へる人が多いのではないでせうか。私は平均的日本人の日本語表現力はかなり怪しいと疑つてゐます。もちろん自分も含めて。
なので翻訳を試みやうとする人は、人一倍日本語の学習が必要であります。

その2。「誤訳の無いのが良い翻訳で、多いのは悪い翻訳である」
たしかに誤訳は多いよりも少ない方がよろしいでせう。
しかしプロの翻訳家がいふには、長篇小説一冊の翻訳をして、一つも誤訳のない作品は考へられないのださうです。
さういふものがあるなら、お目にかかりたいと。
それよりも問題なのは、原作の世界を壊さずに日本語にできるかどうかでせうね。仮に語学的に誤訳が一つもなくても、日本語としてをかしな文章、意味不明な文章、登場人物の性格付けを無視した台詞の翻訳、直訳しすぎて逆の意味の日本語になる文章などは単なる誤訳以上に罪深いものでせう。(かういふ翻訳を「欠陥翻訳」と称してゐるやうです)

「要するに翻訳者というのは、ある意味では雑学の大家であることを要求される、因果で困難な職業であると言えようか」(本書136ページ)

厳しいのであります。

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巨人の素顔 双葉山と力道山


巨人の素顔

巨人の素顔 双葉山と力道山
石井代蔵【著】
講談社(講談社文庫)刊
1985(昭和60)年1月発行


九州場所は横綱白鵬翔の全勝優勝といふ結果に終りました。
対する朝青龍明徳は11日目まで全勝を保つたものの、後半4連敗して力尽きた感じです。
両者の結びの一番、立合ひ直後は朝関が充分の体勢を作つたにもかかはらず、最後は白関に両廻しを与へ、裏返しにされ土俵に叩きつけられました。
自分の相撲を取れずに負けたのではなく、自分の得意な体勢になりながら勝てなかつたところに、朝関の危機を感じますね。さはさりながら、両横綱の激突にふさはしい良い一番であります。

それに比して大関同士の2番、酷い内容でした。
眼前でこの2番を見せられた解説の北の富士勝昭さんは、残る結びの一番に対してコメントを求められて、ほとんど悲鳴のやうに叫びました。「どちらが勝つてもいいから、とにかく良い相撲を見せてほしいですよ」
来場所は大関同士の対戦は初日から三日目までで終了させてしまひませうよ。

そして次代を担ふはずの若手力士は一体どうしたのか。
両横綱に対してあまりにも策がなさすぎますね。馬鹿正直に正面からぶつかり、さあ上手をどうぞ掴んでくださいといはんばかりの相撲つぷりであります。
力の差は歴然としてゐるのだから、まともにぶつかつても結果は知れてゐるではありませんか。工夫がないやね。

ま、さういふ下位力士に助けられてゐる面を割り引いて考へても、今年の白鵬関の活躍は特筆ものであります。
朝青龍関が年間84勝で最多勝を更新した時、この記録はもう破られないだらうと思つてゐたら、あつさり86勝の新記録を達成してしまつた。すごいねえ。

『巨人の素顔』はその白鵬関が尊敬する双葉山と、いま一人力道山の評伝であります。
双葉山篇は「狂気か天才か」と題され、引退後の璽光尊事件を中心に語られます。
「木鶏」を理想として相撲道に邁進した双葉山。その純粋な心に付込んだのが璽宇教だつたのでせう。
棋士の呉清源さんとともに、新興宗教の広告塔としてこれ以上ない存在といへませう。
力道山の方は「無国籍者の悲劇」といふタイトルで、その生涯が綴られます。
いふまでもなく、プロレスを日本に普及させた功労者であり、大スタアであります。現在でも信奉者は多いやうです。

双葉山は事件後立ち直り、協会に復帰して相撲協会の理事長にまでなりますが、力道山はビジネスに邁進し、結果ちんぴらに殺されてしまふ。日本中を熱狂させた英雄の最期としては、悲しすぎるものがあります。
双葉山のやうに、命を賭してでも救つてやりたいと考へる人物がゐなかつたこともありませう。
いづれにせよ、我我凡人には垣間見ることすら困難な英雄たちが、裏では実に人間臭い一面を持つてゐたといふことが再確認できます。
機会あれば一読されたし。

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