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白痴


白痴 (新潮文庫)白痴 (新潮文庫)



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白痴
坂口安吾【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1948(昭和23)年12月発行
1969(昭和44)年 2月改版
1986(昭和61)年12月改版


表題作「白痴」を含む7篇が収められてゐます。
それにしても、何とまあ無気力な主人公たちでせうか。ここまでやる気が感じられないと笑つてしまふほどであります。

「いずこへ」の三文文士、「白痴」の伊沢、「母の上京」の夏川、「外套と青空」の太平など、一見志が低い、どうしやうもない奴等ではあります。
一種の理想主義者なのかも知れません。故意に情けない姿を見せてゐるのも、堕落してもいいぢやんとばかりに挑発してゐるやうに見えます。
常に戦争の影がちらつき、明日の生命も分からぬ当時の世相も関係があるのでせう。それでも適当に諧謔を交へて、それなりに逞しく生き抜く男女の姿は善悪を超えた存在として迫るのでした。

「戦争と一人の女」「青鬼の褌を洗う女」は女性の一人称で語られる作品。戦争を歓迎する発言などを、女性の立場からさせてゐます。これは計算づくか。
ちなみに「戦争と一人の女」は、元々男性の視点から書かれてゐたさうで、本書に収められてゐるのは、その後書き直されたもののやうです。元のやつも読んでみたいのですが、高価な全集版でないと載つてゐないのでせうね。

今風の小説に慣れた読者には、少し読み辛いかもしれませんが、今でも版を重ねてゐるのも事実。人によつて意見が分かれさうな作品群と申せませう。

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正津勉詩集


 
正津勉詩集
正津勉【著】
思潮社(現代詩文庫)刊
1982(昭和57)年8月発行


正津勉氏の詩を知るきつかけとなつたのは、以前もちらりと触れた雑誌「翻訳の世界」であります。
英語を母語とする人たちがチームを成して、日本現代詩のこまわり君といはれた正津勉の詩を英訳するといふ連載企画がありました。
座長のロバート・ワーゴ氏(本書で解説を書いてゐます)と男女ひとりづつの米国人、それに正津勉さん本人を含む4人の座談(でもないか)形式で英訳がずんずん進むのであります。
連載1回分につき1篇の詩が原則で、詩集『おやすみスプーン』及び『青空』を中心に選んでゐました。

翻訳に行き詰まると、詩人本人に「ここはどういふ意味か」などと尋ねたりして、リアル感があります。
「おやすみスプーン」には「わたしはおまえをひゃと舌にのせて」といふ一行があり、この「ひゃと」といふのはどんな副詞なのか、とか。あるいは「暑熱」での「わたしは視る」なるフレイズでは、「見る」とどう違ふのか、なんて問合せがあつたり。ちなみに詩人は「強いていへば意思がこもつてゐる」などと答へてゐました。

性と暴力を真つ向から扱ふ彼の詩に、拒否反応を示す人がゐるといふことは後で知りましたが、私は前記の連載を読んでゐて、全く気にならず、むしろ奥底にあるはにかみ、優しさに共感した覚えがあります。確かにまあ「蛆」なんて詩は、内容だけ追ふと「うげッ」となるかも知れませんが、同時に心地良さも感じるのであります。何度も繰り返し読んでしまふ。不思議と申せませう。

正津勉への質問「QUESTION35」がまた面白い。
「わたしにとって「抒情」とは、抒情を笑殺する非情ともいうべきものである」
「(詩は)前衛? ノン! 詩は絶対に後衛にこそ拠って起つべきである」
「生涯に一度でいい。受付嬢がいて、ガードマンがいて、茶道部がある会社に通勤する自分を夢みなかった詩人がいるだろうか」

児童記録やエッセイみたいなものも併録されてゐて、総合的に正津勉の世界が味はへます。イイよ。

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稀代の霊能者 三田光一


 
稀代の霊能者 三田光一
丹波哲郎【著】
中央アート出版社
1984(昭和59)年7月発行


三田光一(1885-1943)をご存知でせうか。
月の裏側を念写した人物として知られてゐますが、もちろんそれだけの人ではありませんでした。
そもそも「霊能者」といふと、たとへば本書の前作に当る『丹波哲郎の霊人の証明』で取り上げられた長南年恵のやうに、ストイックな求道者みたいな印象があります。
ところが三田光一は、良く言へば陽性の怪男児、悪く言へば生臭い現実主義者といふ感じで、一線を画するのであります。その一種の「うさん臭さ」のせいで、彼の業績自体を疑はしいものと見る人がゐるのでした。

少年時代から、常人とは違ふ能力を持つてゐた三田光一。放火事件や盗難事件で、「○○が犯人だよ」と言ひ当て、警察が調べると事実その通りだつたといふ。
幼さゆゑに、予言して良い事と悪い事の区別がつかず、「隣のおじちゃんは、あと一週間で死ぬよ」などと予言し、それもその通りとなつてしまつたため、周囲の大人たちは気味悪がつて光一を「狐憑き」だとして、さんざん痛めつけたさうです。田舎では狐を追ひ出すといふ目的で、その身体を徹底的に痛めつける風習があつたのです。時にはそのまま死ぬこともあり、迷信とはいへ酷い話であります。光一の場合、座敷牢に閉ぢ込められ餓死させられやうとしました。こつそり母親がおむすびを差し入れて餓死を免れたといひます。

そんな光一ですから、実家が素封家であつたにもかかはらず、生家にゐられず丁稚奉公に出されたといふことです。みんな薄気味悪いと感じてゐたのでせう。その後は放浪の末、手品師として名を上げ、奇術団に加つたのですが、これらの経験が後の念写実験などで邪魔になります。当然「どうせタネがあるのだらう」と見られますからね。

念写で有名になつたのは、福来友吉博士との出会ひがきつかけであります。福来博士は帝大教授だつたのですが、念写実験の失敗(三田光一以前にも念写実験はなされてゐました)などで、教授の座を追はれた人。いつの時代も分からず屋はゐるものです。
公開念写実験の様子はまことに興味深い。ぜひ本書を読んでみませう。

著者丹波哲郎さんは、光一の生家がある気仙沼を中心に取材しますが、地元の人でさへ三田光一を知らないので、文献などに当るしかありません。幸い三田光一の念写写真はたくさん保存されてゐて、本書にもふんだんに掲載されてゐます。
丹波氏もいふやうに、知れば知るほど人物像がぼやけてくる訳の分からない人物でありますが、人を惹きつける魅力をもつた人ですね。某野球選手ではないけれど「何か持つてゐる」てな感じですかな。

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ハルコロ


 
ハルコロ<全2巻>
石坂啓【著】
本多勝一【原作】
萱野茂【監修】
潮出版社(希望コミックス)刊
1992(平成4)年12月発行(1巻)
1993(平成5)年 3月発行(2巻


この漫画はアイヌの少女「ハルコロ」が主人公の物語であります。
純情なハルコロが成長するに従ひ、自分の属する社会(アイヌの世界)がどんなものかを学んでゆくのでした。
ハルコロを通じてアイヌ社会の神話から歴史、風習などが我々にも理解出来るやうになります。

原作はジャーナリストの本多勝一さん。アイヌモシリ(アイヌの土地)については諸説あるが、少なくとも北海道・千島・南樺太は明白にさうであると彼は語ります。北からはロシヤ人、南からはシャモ(=和人、即ち日本人)の侵略によりその固有の土地を追はれてきたといふ歴史があります。人類の歴史は侵略の歴史。
本多氏によると、元々「アイヌ民族」三部作を発表するつもりで、その第一部にあたるのがこの『ハルコロ』ださうです。神話から始まり、1457年のコシャマイン戦争を暗示するところで『ハルコロ』は終ります。

監修の萱野茂さん(アイヌ記念館館長=当時)も、内容の確かさに太鼓判を押します。
「随所に出ている説明文も史実に則って書かれているので、これから先、アイヌ関係のものを書こうと考えておられる方々が、参考文献として引用するに足りる内容を備えています」(2巻「解説」より)
つまりアイヌ民族入門の教科書と申せませう。

そして、この豊穣なる物語に新たな生命を吹き込んだ石坂啓さん。豪快な女性の印象がありますが、実に心憎い漫画を描いてくれたものです。これ以上の適役はありますまい。石坂さんにとつて商業的に成功した作品は他にも数多くあるでせうが、本作は代表作の一つに数へられるべきものでせう。力作。
本多氏によると、原作に加へ2-3割は石坂啓さんの創意も含まれてゐるとか。
第二部以降も漫画にして欲しいものであります。

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プロ野球 トレード光と陰


 
プロ野球 トレード光と陰
近藤唯之【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1991(平成3)年11月発行


トレード光と陰、といふことですが、実際には陰の面が多いやうですな。
つい最近も岩隈久志投手(東北楽天ゴールデンイーグルス)のポスティング不成立のあふりを喰つて、同僚の渡辺直人選手が金銭トレードに出されてしまひました。一寸先は闇。何が起るか分からないのであります。

26篇のトレード裏話が紹介されてゐます。多いですね。もう少し絞つて詳しく知りたい案件もありますが、著者としてはもつと多くの事例を紹介したいと考へたのかも知れません。
世の中には、小説でも書けないやうな偶然のお陰でその後の人生が変るといふ例がいくつもありますが、近藤節にかかると、これがまことにドラマティックな事件になります。

監督との喧嘩がなければ放出されなかつただらう須藤豊、その驕りから落合博満を中日球団にとられてしまつた讀賣球団、デービスの逮捕がなければ中日で燻つてゐたままだらうと思はれるブライアント...
以前に比べればトレードの負のイメエヂは少なくなつたかもしれません。しかし誰かが言つた「本当に必要な戦力と思つてゐるならトレードに出さないよ」といふ言葉も真実。「放出」なんて嫌な言葉ですね。関西の人はハナテンと読みさうですが。

今はFAとかポスティングシステムとか新しい制度もあり、選手の待遇も改善が見られるやうです。しかし、本書の時代背景は少し古くなつてしまひましたが、やはりトレードの本質は変つてゐませんね。入団時はちやほやするが、いざ退団する選手には北風のやうに冷たい。プロスポーツの華やかな面だけではなく、陰の面も否応なく示すのでした。近藤節。

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三億円事件


三億円事件 (新潮文庫)三億円事件 (新潮文庫)



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三億円事件
一橋文哉【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2002(平成14)年2月発行


12月10日は三億円事件の起きた日であります。もう忘れられた事件の一つなのか、報道などでも語られることはほとんど無いみたいです。私にとつては随分イムパクトがあつた事件なのですがね。
もつとも事件発生は1968(昭和43)年で、当時の私は幼すぎて事件を把握する能力はございません。
7年後の1975(昭和50)年に時効が成立し、再び世間が大騒ぎしたので、その時私は初めて知つたのであります。
時効7年は短いですね。完全撤廃すればいいのに。

このルポが書かれるきつかけとなつたのは、盗まれた500円札の紙幣番号と同じ紙幣を持つ男と著者が接触したことによります。その事実を眼前に突きつけられたら、誰でも愕然とするでありませう。
3億円といつても、10000円札の束で現金輸送ケースが埋められてゐる訳ではないやうです。この3億円といふのは、元々東芝府中の従業員の賞与として輸送されてゐたのです。当時は銀行振込ではなく、一人ずつ現金を袋に入れて渡してゐました。4525人分ださうですから、袋に入れる作業が大変です。銀行がサービスでしてゐたのですね。
ゆゑに、1000円紙幣や500円紙幣も交ぢつてゐたのであります。

著者の取材グループはあらゆる角度から徹底調査をし、関連人物に片端から接触します。
中でも重要な容疑者の一人と目される「先生」と呼ばれる人物へのインタビューは、まるで小説みたいに劇的であります。実際犯罪小説を読んでゐるやうな錯覚に陥ることしばしばでした。

結局「先生」「ジョー」「ロク」の共犯なんですかね。しかし「ロク」は早々と死亡し、「ジョー」は薬物中毒、「先生」は行方をくらませてしまひ、はつきりとした事実は「杳として知れず」といふことです。
関係者も物故者が増えてきたりして、これ以上の取材は難しいか。永遠の謎となるのでせうか。残念。

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ローカルバスの終点へ


ローカルバスの終点へ (洋泉社新書y)ローカルバスの終点へ (洋泉社新書y)



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ローカルバスの終点へ
宮脇俊三【著】
洋泉社(洋泉社新書y)刊
2010(平成22)12月発行


久しく文庫版も絶版となつてゐた『ローカルバスの終点へ』ですが、このたび洋泉社新書yの1冊として復刊しました。新書で復刊とは珍しい。
著者は国鉄全線を完乗し、私鉄線もローカル線を中心に乗車を重ねてきました。海外にも進出し、相当の国へ鉄道に乗るために旅行してゐます。
裏を返せば、それ以外の交通手段に関してはあまり関心を示してきませんでした。
しかし、例へばローカル線巡りをしてゐますと、鄙びた終着駅の前にあるバス停が気になつてくるのであります。
時刻表を見ると、一日わづか数本のバスのみ。次の便は数時間後。後の行程を考へると、泣く泣く諦める、といふことが多々あります。

そんな私たち(自分も一緒にするな、の声も聞こえるが)の渇きを癒すやうに、宮脇俊三さんが日本全国のローカルバスを終点まで乗りつくしました。
あの飄々とした筆致で、見知らぬ土地や見知らぬ人々を活写するのでした。
電話予約ではぶつきらばうな対応をする旅館の女性が実際に会ふと親切だつたり、昔の話を聞かうとして、昔の食ふや食はずの話などいやだといふ牧場主がゐたり、バスは不便だから目的地まで乗せてやらうといふタクシー運転手とか。やはり地方の旅はさまざまな人たちとの出会ひが嬉しい。あまり人と交はらぬ私でも旅先ではテンションがあがります。
そんな自分の旅の記憶と被る場面が多く、またどこかへ行きたくなるのであります。

もつとも宮脇さんが旅をしたのは概ね1986-1987年頃なので、今は同じ旅は出来ません。
そこで、それぞれの旅の最後に現在のアクセス情報が加えられてゐるのですが、個人的にはコレは要らないと思ひます。宮脇氏もきつと「余計なことをしてくれるな」とつぶやいてゐるのでは。

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JR新時代の軌跡


JR新時代の軌跡―〈北斗星〉から〈はやて〉までJR新時代の軌跡―〈北斗星〉から〈はやて〉まで



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JR新時代の軌跡 <北斗星>から<はやて>まで
種村直樹【著】
SiGnal刊
2004(平成16)年6月発行


いよいよ東北新幹線が全通。ここまで来るのに38年もかかつたといふことです。
青森までの道のりは遠い。かつては東京と青森を結ぶ列車としては、「はつかり」号などがその任にありましたが一日仕事でありました。それが3時間20分に短縮されるといふから隔世の感があります。

しかし青森までの開通で終りではありません。180万都市札幌まで開通して、日本の新幹線網は完成するでありませう。一部には、新幹線の建設は無駄な投資であるといふ意見がございますが、それは地域によるのであります。九州新幹線長崎ルートや北陸新幹線は無駄だと私は思ひます。こちらはスーパー特急方式が妥当でせう。
しかし札幌までの路線は話が違ふ。詳しく述べるとキリがないけれど、大いに意義があるものです。青函トンネルもやうやく真価を発揮することが出来ます。(そもそも札幌まで作らないならば、東北新幹線は東京-仙台間だけでいい。)

レイルウェイ・ライター種村直樹氏は、2000(平成12)年にくも膜下出血で倒れ、その後復帰したのですがやはり往年の勢ひがなく、著作がめつきり減つてしまひました。即ち21世紀のルポは案外貴重であると申せませう。
本書の前半はJR在来線の新線開業ルポ(しかし非JRの沖縄ゆいレールも掲載されてゐるのは愛敬ですかな)、後半が新幹線開通ルポとなつてゐます。
つばさ(山形)・こまち(秋田)・あさま(長野)・はやて(東北)の各新幹線が取り上げられてゐます。はやてはまだ記憶に新しいところであり、今回の青森延伸に繋がるのであります。種村氏はやはり開業ルポを書いてくれるのでせうか。あの独特の「種村節」を愉しみたいと思つてゐるのは、私だけではありますまい。

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