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伊福部昭 音楽家の誕生


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伊福部昭 音楽家の誕生
木部与巴仁【著】
新潮社刊
1997(平成9)年5月発行


2月8日は伊福部昭氏の命日であります。
あの衝撃の日から既に4年が経過しました。時蠅は矢を好む。
本書の著者・木部与巴仁さんは、何としても伊福部昭といふ音楽家を本に書きたいと思ひ、本人へのインタビューをはじめ、さまざまな取材を活発に行つてきました。
そして何と13年といふ歳月をかけて、1997年、漸く日の目を見たのが、この『伊福部昭 音楽家の誕生』なのです。
400ページを越える堂堂たる評伝が完成したのであります。文字通りの労作。

伊福部昭は、1914(大正3)年、北海道釧路に誕生します。
少年期を十勝平野にある音更村といふところで過ごし、そこでアイヌの人たちと交流がありました。後年彼の創る音楽に影響を与へたに相違ありません。
伊福部一家は、侵略者としてのシャモ(和人)に属するのですが、父利三氏(音更村村長)の人徳からか、アイヌ人から反感を買はずにすんださうです。

後に進学のため札幌に出ますが、ここで『日本組曲』や『日本狂詩曲』を作曲してゐます。後者は、チェレプニン賞を受賞し、これが音楽活動のスタートとされてゐます。時に21歳。
これらは、当時の音楽的常識を無視した作法なのださうです。それに関して本人の聞き書き中に、印象的な言葉があります。『日本組曲』の「七夕」といふ曲について次のやうに語ります。

「当時、和声学の規則では、平行五度は駄目だということになっていまして。和声が完全五度のままで進むのは気持ち悪く聞こえる、音楽になってないというわけです。それなら、自分は全部平行五度で行ってやろうと思って書いたんです。
北海道などで暮らしておりますと、自然の中で生きていくためには絶対まもらなければならない掟と、まあ、これは破ってもいいんじゃないかということの見境が、ずいぶん早くからつきます。平行五度を禁ずるというような、つまらない掟は守らない、ということです」

これぞ大人の態度だと思ひます。その意味で昔の日本人は大人だつたのでせう。
従前の音楽常識を打ち破り、注目を集めてゆくのです...

ところで以前私は、伊福部氏のCDのほとんどを所持してゐました。ある日家に泥棒が入り、なぜかCDだけすべて盗まれてしまつたのです。900枚くらい。当然伊福部昭も含まれてゐました。
PCとかデジカメとかはその他金目のものはそのままで、CDソフトだけ持つて行く変な泥棒でした。
(後日、岐阜県大垣市の中古書店にて、それらが販売されてゐたのを発見して驚愕したのであります)
伊福部昭のもので入手可能なものはまた買ひ直しましたが、すでに廃盤になつてゐるのも結構ありました。悔しくて仕方がないのであります。

話がそれました。
本書の帯には「この巨きな作曲家について無性に語りたい!」とあります。
木部氏がその巨きさに挑み、四つに組んだ快作と申せませう。
今後もし余人がまた伊福部評伝をものすることがあつても、出発点は本書になるでせう。
では、ご無礼します。

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