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市川雷蔵かげろうの死


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川雷蔵かげろうの
田山力哉【著】
社会思想社(現代教養文庫)刊
1988(昭和63)年2月発行


3篇の「実名小説」が収められてゐます。それぞれ市川雷蔵・田宮二郎・中平康が主人公となつてゐますが、いづれも華麗なる名声を得ながら不遇の晩年を迎へたといふ共通点があります。
まづは表題作「市川雷蔵かげろうの死」。数奇な出生を経てゐる点で、当り役の眠狂四郎と重なる部分があります。世が世なら彼の名前は、名跡「市川新蔵」を継ぐところだつたのですねえ。名門の子供でなかつたおかげで、雷蔵の名前が転がり込んできた。その後自らの活躍によつて市川雷蔵は大きな名前になりましたが、襲名当時は旧態依然たる歌舞伎界に嫌気がさしてゐたことでせう。
タイトルは作中の雷蔵のせりふから。余生の短いのを悟つたのか、次のやうな言葉をつぶやくのであります。

「...かげろうは朝の九時に生まれて夕方の五時に死ぬそうや。そうするとこの生きものは夜というものがあることを知らんことになる。あと五時間の生命があったらなあ......もしぼくが今死んだら、ぼくの人生は逆に夜ばかりやったような気がするわ。今がようやく夜明けゆうとこや。」
「ぼくは太陽が空の真ん中にあがった白昼を知らんで死ぬのがいやなんや。わびしいなあ。夕陽の沈むのも見とどけて死にたいなあ。」

2作目は「田宮二郎いのち純情の死」。ポスタアの配役序列を不満として抗議し、結果的に大映を解雇された田宮二郎。五社協定があつた当時は、他社の映画にも出演できず、不遇を託つ日々でありました。彼は野心家としてはあまりに純粋すぎたのではないでせうか。タイムショックの司会で人気を博したが、彼は不満だつたでせう。

最後は「闇に堕ちた監督・中平康」。映画監督としてまづ最高のスタアトを切つた中平康。それだけに思ふやうな映画が撮れなくなつた後年の無念はいかばかりか。かつて叱り飛ばした後輩が自分を越す名声を得る。酒に溺れる日々もむべなるかな。

一世を風靡し、名声を手に入れながらも懊悩する映画人たち。著者田山力哉氏の筆力によつて、すぐれた「フィクション」の主人公として蘇つたのであります。これまた絶版ですが、一読の価値はございます。

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