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稀代の霊能者 三田光一


 
稀代の霊能者 三田光一
丹波哲郎【著】
中央アート出版社
1984(昭和59)年7月発行


三田光一(1885-1943)をご存知でせうか。
月の裏側を念写した人物として知られてゐますが、もちろんそれだけの人ではありませんでした。
そもそも「霊能者」といふと、たとへば本書の前作に当る『丹波哲郎の霊人の証明』で取り上げられた長南年恵のやうに、ストイックな求道者みたいな印象があります。
ところが三田光一は、良く言へば陽性の怪男児、悪く言へば生臭い現実主義者といふ感じで、一線を画するのであります。その一種の「うさん臭さ」のせいで、彼の業績自体を疑はしいものと見る人がゐるのでした。

少年時代から、常人とは違ふ能力を持つてゐた三田光一。放火事件や盗難事件で、「○○が犯人だよ」と言ひ当て、警察が調べると事実その通りだつたといふ。
幼さゆゑに、予言して良い事と悪い事の区別がつかず、「隣のおじちゃんは、あと一週間で死ぬよ」などと予言し、それもその通りとなつてしまつたため、周囲の大人たちは気味悪がつて光一を「狐憑き」だとして、さんざん痛めつけたさうです。田舎では狐を追ひ出すといふ目的で、その身体を徹底的に痛めつける風習があつたのです。時にはそのまま死ぬこともあり、迷信とはいへ酷い話であります。光一の場合、座敷牢に閉ぢ込められ餓死させられやうとしました。こつそり母親がおむすびを差し入れて餓死を免れたといひます。

そんな光一ですから、実家が素封家であつたにもかかはらず、生家にゐられず丁稚奉公に出されたといふことです。みんな薄気味悪いと感じてゐたのでせう。その後は放浪の末、手品師として名を上げ、奇術団に加つたのですが、これらの経験が後の念写実験などで邪魔になります。当然「どうせタネがあるのだらう」と見られますからね。

念写で有名になつたのは、福来友吉博士との出会ひがきつかけであります。福来博士は帝大教授だつたのですが、念写実験の失敗(三田光一以前にも念写実験はなされてゐました)などで、教授の座を追はれた人。いつの時代も分からず屋はゐるものです。
公開念写実験の様子はまことに興味深い。ぜひ本書を読んでみませう。

著者丹波哲郎さんは、光一の生家がある気仙沼を中心に取材しますが、地元の人でさへ三田光一を知らないので、文献などに当るしかありません。幸い三田光一の念写写真はたくさん保存されてゐて、本書にもふんだんに掲載されてゐます。
丹波氏もいふやうに、知れば知るほど人物像がぼやけてくる訳の分からない人物でありますが、人を惹きつける魅力をもつた人ですね。某野球選手ではないけれど「何か持つてゐる」てな感じですかな。

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