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日本文学を読む


 

日本文学を読む
ドナルド・キーン【著】
新潮社(新潮選書)刊
1977(昭和52)年11月発行


以前我が家には新潮社の「日本現代文学全集」全50巻がありました。
父親はとりたてて読書家ではないので、なぜ家にあつたのかは謎でありますが、おそらく誰かから譲り受けたものでせう。
くたばつてしめへ、ではなく二葉亭四迷から始まつて、安部公房・大江健三郎まで、おほむね一人1冊で構成されてゐました。まあ2-3人で1冊分けあつたり、谷崎潤一郎のやうに一人で2冊独占したりと例外はありましたが。
まだ中学生の私は、とにかく頭から読んでみませうと齧り付くやうに格闘した覚えがあります。かなり背伸びをしたと申せませう。

ドナルド・キーン著『日本文学を読む』を読んでゐて、当時のことを思ひ出したのであります。
とりあげる作家たちの顔ぶれも四迷・紅葉・露伴に始まり安部・大江・開高までとほぼ同じ。さういへば本書の初版が出た時期もちやうどその頃ですな。

ドナルド・キーン氏が約50人の文学者を語ります。自身が日本人ではないといふことで、時に誤解を受けたりするやうですが、専門家も含めて日本人でもキーン氏ほどの眼力を持つ人は少ないでせう。
酷評する場合も、全体としてはその価値を認め、愛情を注いでゐます。ゆゑに自分の好きな作家・作品が貶されてゐても不愉快にならないのであります。

「こんなに鏡花の小説にほれている私に、「翻訳する意思はないか」と問われたら、返事は簡単である。「とんでもない、この快感を得るために三十年前から日本語を勉強したのではないか」と。」(泉鏡花)
「日本近代文学を通読すると、私は啄木が最初の現代人であったというような気がしてならない」(石川啄木)
「誰かに聞かれたら、近代文学における最高の大家は谷崎であると敢えて言うだろう」(谷崎潤一郎)
「明治、大正時代の日本の小説の中で、一番感銘を受けるものは有島武郎の『或る女』である」(有島武郎)
「二十世紀の歌人がどんな人であったかということを火星人に説明する必要が起きたら、斎藤茂吉の歌集を見せたらよいと思う」(斎藤茂吉)
「日本の詩人がノーベル文学賞の候補者になることはない。(中略)西脇順三郎はすでに受賞した欧米の詩人に劣らないほど大きな存在だと私は信ずる」(西脇順三郎)
等等、世間の一般的評価を受け入れながらも、独自の視点で「日本文学を読む」のでした。
我々日本人はこんなに豊かな文学世界を身近に持つてゐたのですね。改めて読みたくなる作家が幾人もゐて困りましたな。

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