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有吉佐和子の中国レポート


有吉佐和子の中国レポート (1979年)有吉佐和子の中国レポート



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有吉佐和子の中国レポート
有吉佐和子【著】
新潮社刊
1979(昭和54)年3月発行


有吉佐和子さんの5度目の訪中記であります。
時は今から32年前、1978年のこと。文革の悪夢さめやらぬ時代、日中国交正常化からまだ数年の頃です。
目的は「人民公社に泊り込んで、農村の人と一緒に生活する」ことなのですが、現地の中国人たちは中中その意図を理解してくれません。「不便ですよ」とか「不衛生です」などと言つて取り合ひません。有吉さんを観光客扱ひするかのやうです。
しかし、現地の人も頑なですが、有吉さんはそれを上回る強引さで、痛快なほどです。相手は迷惑でせうが。

最初は農村へ入れず、文革中に迫害・拘束されてゐて最近「出てきた」人たちとの再会が続きます。
作家・老舎の未亡人との対面では、老舎の惨い最期が語られ、怒りを感じました。この話が事実なら、老舎は明らかに殺害されてゐるのですが、今でも公式には自殺とされてゐるのです。証拠隠滅のためか、死体はただちに火葬されたさうです。「あの頃は滅茶苦茶だったのです、何もかも」(老舎の長女の言葉)

さて、偶然中国に来てゐた音楽家・小沢征爾氏とのひとときがあつたりして、その後待望の人民公社に入るわけです。ところが、これがまたあまりにゆつたりしたスケジュールで、有吉さんはイライラのし通し。早く出発しませう、いや休んでゐてくださいの繰り返しが今後も続くのであります。

各地の人民公社を回るうちに、当初の目的「三同生活(農民と一緒に寝て、食べて、働く)」から離れて、肥料・農薬問題に深入りすることになります。何しろ『複合汚染』の著者ですから、中国の農民も驚く知識を有するといふことで、各地で講演をするはめになります。しかしその反応は素晴しいものでした。
当初の目的とはいささか違う内容の旅になつたやうですが、最後は有吉さんも充実感を感じたのではないでせうか。
通訳の張光珮さんの存在も大きいですね。何しろ千人の教へ子を持つといふ北京大学の先生です。その彼女が有吉さんの話に感化されて、お弟子さんにも伝へるといふ。
「講演会のメモは、みんな取ってあります。私は有吉さんと全く同じように話すことが出来ます」
「大丈夫よ。一つも間違えず話しますから、心配しないで下さい。私の教え子は、みんな優秀、本当よ。だから、必ず理解します。安心して下さい」
こんな人が通訳になつた時点で、旅の成功は半分約束されたやうなものでせうね。

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